「地元の新潟にプロ野球チームを」──その思いを、池田拓史氏は大学生の頃から胸の奥に抱き続けてきた。
株式会社新潟プロ野球団の代表取締役社長。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(=オイシックス)を率い、2023年シーズンまで17年間BCリーグで活動し、2024年シーズンからはNPBイースタン・リーグに参戦。2025年シーズンのホーム観客動員数は、巨人に次ぐイースタン・リーグ2位の10万人を突破するなど、新しい舞台でインパクトを残し続けている。その原点は、2000年代にJリーグ・アルビレックス新潟が起こしたサッカー旋風。地方におけるプロスポーツの可能性を日本中に示した。プロスポーツに恵まれてこなかった土地で、人が動き、街が沸く光景を目の当たりにし「この流れが他の競技にも広がるなら、野球にも可能性があるはずだ」と感じた。新潟でプロ野球に関わると決めた原点。地域とともに歩み続け、そしてNPBファーム・リーグ参戦を経て「次の景色」へ。新潟の地で野球事業を続ける理由を、池田氏の言葉でたどっていく。
(取材・執筆:伊藤 千梅、編集:伊藤 知裕、池田 翔太郎)
――アルビレックスBCの球団社長に就任されてから、もうすぐ丸10年だそうですね。池田さんの歩みとともに、新潟にプロ野球チームをつくるに至った経緯を教えてください。
私が大学生だった2000年代、アルビレックス新潟が一気に盛り上がり始めていました。それまで新潟はプロスポーツという意味では恵まれた土地ではなかったので、「これは画期的な出来事だな」と感じていたのを覚えています。当時から、もしこの流れが他の競技にも広がるなら、野球にも可能性があるんじゃないかと思っていました。ただ、就職のタイミングではすぐにプロ野球チームが立ち上がる状況ではなかったので、新卒ではリクルートグループの営業職として社会人生活をスタートさせました。それでも想いがブレることはありませんでしたね。2005年に、池田弘氏(現NSGグループ会長)、野球事業を立ち上げようとしていた藤橋公一(現株式会社新潟プロ野球団顧問)と村山哲二氏(現ルートインBCリーグ会長)に出会う機会がありました。アルビレックス新潟が築いてきた地域密着の考え方や運営ノウハウを野球にも活かせるのではないかと思い、まずは2006年7月からジャパン・ベースボール・マーケティング(BCリーグ事務局)の創設メンバーとして参画しました。現在のルートインBCリーグの原型となる北信越BCリーグの立ち上げに携わり、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(=アルビBC)を含む4球団の設立に関わった後、2008年にアルビBCへ転籍し、2016年からは代表取締役社長を務めています。

(2023年シーズン終了後、サポーターに向けて挨拶する池田氏・写真提供=球団公式X)
――サッカーという身近な成功例がきっかけだったのですね。それでも、どうして野球だったのですか?
大学進学時は理数系の学部に進んで、将来はまったく違う仕事を考えていました。でも「自分が本気で取り組めて、少しでも人の役に立てる仕事は何だろう」と考えた時に浮かんだのが、野球でした。私は新潟の田舎の出身で、子どもの頃にプロ野球を生で観る機会はほとんどありませんでした。テレビで観るプロ野球中継が好きでしたが、プロ野球観戦で初めて球場に行ったのは中学生になってからです。ずっと野球を観ることが好きだったので、もし自分がプロ野球チームの運営に関われたら、次の世代には違う景色を見せられるかもしれない。正直、すごく大変だろうとは思いましたが、「新潟にプロ野球チームをつくりたい」という気持ちは、20歳前後の頃からずっと心の中にありました。東京などではなく地元・新潟で、というこだわりも強かったです。東京で別の仕事を続ける選択肢も、もちろんありました。でも、変な言い方かもしれませんが、東京で仕事を頑張るのは私じゃなくても誰かがやるだろうと感じていました。一方で、新潟でプロ野球チームをつくって根付かせることを、ここまで本気で考える人はそう多くはないだろうとも思いました。「だったら自分がやらなきゃいけないんじゃないか」という意地はありましたね。
――2006年からBCリーグの創設に携わり、2008年からはいよいよアルビBCに専念するようになりました。最初の8年と、2016年に代表取締役社長に就任してからの10年を振り返って、どんな変化を重ねてきたと感じていますか?
BCリーグ時代は、どこの球団も経営的にかなり厳しい状況でした。日本でプロ野球の独立リーグの球団として、きちんとしたビジネスモデルを確立できている球団は一つもありませんでした。私自身、2008年に球団に転籍した時点で、立ち上げ当初にあった資本金1億円の大半はなくなってしまっており、大変苦労しました。球団職員は、役員を含めても8人前後しかいませんでした。営業担当は私を含めて3人ほど。この事業をどうやって持続可能な形にするか。そればかり考えて奔走していたと思います。当球団は、売上の約8割をスポンサー収入に支えられています。ここまで潰れずに存続できたのは、本当にスポンサーの方々のおかげです。今振り返ると「価値があるかどうかも分からないもの」に、何の見返りも求めずに応援するという形でお金を出してくださっていた。そういったご理解とご支援がなければ、間違いなく球団は続いていませんでした。

(2014年、南魚沼市・ベーマガSTADIUMでの試合で内野席が埋め尽くすほどのサポーターが集う)
――立ち上がったばかりのリーグとチームに対して、当時は周囲からどのような声がありましたか?
独立リーグで、しかも若くて無名な選手ばかりの球団ですから、創設当初は「スポンサーがつくわけがない」「チケットが売れるわけがない」と言われることも多かったです。正直、悔しい思いをしたことも何度もありました。ただ、その中でも「日本の独立リーグでしっかりとしたビジネスモデルをつくるんだ」という気概だけは失わずにやってきました。2012年頃から、少しずつ黒字を出せるようになり、そこからは大きくはないですが、10年以上黒字経営を継続できるようになっていきました。その積み重ねがあったからこそ、今、違うステージでチャレンジさせてもらえる立場になったのだと思っています。
――NPB球団と戦えるステージへと続いていったのは、「価値があるかどうかも分からないもの」に対してスポンサーが離れなかったからだと思いますが、その理由は何だと思いますか?
2016年に私が球団社長になったタイミングで、「“ふるさとのプロ野球”による地方創生」という経営理念を明確に掲げました。通常、スポンサー営業の場面では、「協賛すると自社のビジネスにどんなメリットがあるか」という話になります。でも正直に言えば、当球団はそういうロジックが成り立つような力はありませんでした。観客動員も、平均すれば1000人前後。この規模感で「広告効果があります」という説明をしても、先がないと感じていました。
私たちは野球を通じて地域を活性化する、地域に貢献することを目的にしている球団です。その取り組みを、SDGsの枠組みなども用いながら、「こういう経営理念とポリシーで運営しています」と、スポンサーの方々に丁寧に説明してきました。その結果「アルビBCを応援すること自体が新潟の活性化につながる、新潟への貢献になる」と理解してくださる企業が増えていきました。継続率も上がりましたし、20年以上応援してくださっているスポンサー様もいます。まさかNPB球団と恒常的に戦える舞台に立てるとは、当時は誰も想像していなかったと思います。長年応援してきた甲斐があったと思ってもらえたらうれしいですね。

(2025年シーズンはホーム戦での来場者10万人を突破・写真提供=球団公式X)
――応援し続けてくれたスポンサー、そしてサポーターの存在も大きな後押しとなって、2024年にNPBイースタン・リーグに新規参加されました(※1)。球団としても大きな出来事だったのではないでしょうか?
間違いなく大きな転換点でした。一般的な企業経営で言えば「第二創業」と言っていいような出来事だと思います。事業規模もファーム・リーグへの参加を境に一気に3倍以上になりました。実質的には、半年ほどの期間で会社の規模が3倍以上に膨らんだわけで、これは通常のビジネスの世界でも、なかなか起こらない変化だと思います。そういう意味でも、会社として明らかな分岐点だったことは間違いありません。17年間BCリーグで活動してきました。そこから、NPB球団と常に試合ができる環境に変わりました。二軍とはいえ、対戦相手もリーグの注目度も全く別のステージです。相手球団やリーグ全体に対する期待感の高さなどの恩恵を受けながら今は運営できていますし、事業環境としては、独立リーグ時代とは明らかに異なるフェーズに入ったと感じています。
――池田さんが掲げ続けてきた“ふるさとのプロ野球”という経営理念にもより近づいた印象があります。
新規参加を目指すと決めた時の記者会見でも、はっきりとお伝えしましたが、「当社の経営理念をさらに推進できると判断したからこそ挑戦する」という思いがありました。
結果として、その判断は間違っていなかったと感じています。スポンサーやサポーターのみなさんの注目度も明らかに変わりました。期待値はとても大きいと感じています。

(2025年12月18日、桑田真澄氏のCBO就任会見が行われた。左から池田氏、桑田氏、武田勝監督)
――注目度という意味では、日本球界にまた大きなインパクトを与える出来事がありました。球団創設20周年に当たる2026年1月から、巨人で長年活躍し、育成手腕にも定評がある桑田真澄さんがチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)に就任されました。
CBOのミッションは「強く、愛され、選ばれる球団」になるための、球団文化とブランドの構築です。桑田さんには、チーム全体を俯瞰して見ていただき、球団の基盤強化と発展、そしてチーム編成の強化を担っていただきます。当球団はNPB入りを目指す若い選手やNPB球団から戦力外通告を受けて再起を図る中堅・ベテラン選手で構成されるチームです。「勝つこと」と「NPBへ選手を輩出すること」を同時に目指す以上、チームづくりの難易度は非常に高い。2025年には球団史上最多となる3選手がドラフト指名を受け(※2)、NPBに輩出することができましたが、これはまだ通過点。今後も継続的にNPBで活躍できる選手を送り出すためには、育成の仕組みや文化づくりが欠かせません。桑田さんには技術的な指導だけでなく、プロフェッショナルとしての心構えも含めて、球団独自の文化づくりに関わっていただきます。ファーム・リーグの中で本気で上位争いをし、観客動員でもナンバーワンを目指す。その実現に向けて、お力をお借りしていきます。
――桑田さんと共に進める取り組みが、オイシックスの独自性をさらに際立たせそうですね。その点も含めて他の独立リーグ球団やチームと比べて、オイシックスの、そして新潟という地の強みはどこにあると感じていますか?
球団創設当初から「いつかNPBのステージで戦うんだ」という思いは、ずっと持っていました。その気持ちがあったから、しんどい時期も続けてこられたのだと思います。イースタン・リーグ参加にあたってNPBの皆様から評価して頂いたのは、規模は小さいながらも歴史と実績があり、試合運営面・選手育成面・球団経営面など、球団の運営における基礎やノウハウを持っていたこと。そして、エコスタ(HARD OFF ECOスタジアム新潟)の存在です。NPB選手にとっても、良い球場で試合ができることを前向きに捉えてくださる球団は多かった。この球場の建設は、当社の顧問であり前社長でもある藤橋をはじめ、新潟の野球関係者の先輩方が、長年かけて署名活動などを行い、実現してくださったものです。もしエコスタがなければ、そもそも審査の土俵に立てなかった可能性もあります。間違いなく、そうした皆様の努力や積み重ねがあったから、今があると思っています。

(イースタン・リーグ参加に当たり高評価を受けたエコスタ)
――池田さんだけでなく、新潟の野球界関係者の夢と共に前進し続けたここまでの歩みの中で、池田さんご自身が「忘れられない」瞬間はありますか?
いくつかありますが、一つ挙げるなら2009年7月12日の試合です。エコスタが開業して、プロ野球一軍戦(広島vs阪神)がこけら落としで行われた数日後、当球団が初めてエコスタで公式戦を行った日でした。その時、1万5311人のお客さんに来ていただいたんです。当球団として、いまだに最高記録です。立ち上げ当初は、若くて無名の選手しかいないチームに「スポンサーがつくわけがない」「チケットが売れるわけがない」と言われていた。そこから3年目の夏に、数字として実績が出せた。あれは強烈に印象に残っています。他にも節目はありました。のちにヤクルトの一軍監督としてチームを日本一に導いた、高津臣吾さんが2012年に選手兼任監督として1年指揮を執ってくださって、独立リーグで日本一になった年もそうです。そしてNPBファーム・リーグに参加して最初にホームゲームができた時も感慨深かった。ホーム開幕戦で楽天さんと初めて試合をした時は「17年やって、ここまで来たんだな」と思いましたね。

(2012年9月22日、長岡市・悠久山野球場で高津臣吾選手兼任監督の引退試合が行われた)
――関係者だけでなく野球を愛する新潟県民にとっても誇らしい瞬間だったと思います。改めて、池田さんから見て地方における「スポーツの価値」とは?
地方にとっては特に、“身近な娯楽”としての価値が大きいと思っています。進学や就職で人が出ていく流れが何十年も続く中で、街の魅力が弱いと言われることもある。言い方を変えると、都会に比べて娯楽が少ない。だからこそ、プロスポーツが地域にあることが、生活の張り合いになったり、身近な楽しみになったりする。スポーツジャーナリストの二宮清純さんが講演で「プロスポーツの価値は“若者の流出阻止効果”」という話をされていて、すごく腑に落ちたんです。私たちが“そういうクラブ”になれれば、少しは地域のお役に立てるんじゃないか。そういう気持ちでやっています。
――もっと地域のお役に立てるような球団を目指すために、スポジョバで球団職員募集も行っていますが、これから一緒に働く方は、どんな時にやりがいを感じられると思いますか?
20年携わってきて思うのは「野球だから頑張れる」人が、結果的に長く続いているのは事実としてあります。加えて、地域を元気にしたい気持ちがある人ほど踏ん張れる。仕事の90%以上は大変なことです。でも、例えば「池田さんたちが頑張ってくれたから、プロ野球の試合が身近になった」と言っていただけると、しんどかったけどやってよかったなと思える。そういう瞬間は、ここにいるみんなそれぞれに、きっとあると思います。
――最後になりますが、ここから先、会社として、球団として「次に見たい景色」は?
まずは、NPB二軍公式戦の中で安定した球団経営を継続すること。その上でファーム・リーグ優勝、平均入場者数でナンバーワン、そして選手の輩出を5名以上。そこを一つの到達点として掲げています。
私たちは独立した球団として新規参加枠でリーグ戦への参戦を認められている立場ですが、だからこそ突出した球団運営を実現したい。まだまだ低予算の球団ではありますが、それでもこのリーグで優勝して、平均で3000~4000人とお客さんが入るような状況をつくれたら、野球界に対して良い影響をもたらすことができるかもしれない。おこがましいですが、そういう思いもありながら進んでいけたらと思っています。

(2025年のプロ野球ドラフト会議で指名を受けた3選手。左から知念大成外野手、能登嵩都投手、牧野憲伸投手・写真提供=球団公式X)
※1=これまでNPBの二軍公式戦はイースタン/ウエスタン・リーグに分かれて行われていたが、2026年シーズンから1リーグ3地区制で再編されることになった。オイシックスはヤクルト、日本ハム、楽天、ロッテで構成される東地区に所属することになった。
※2=2025年10月に行われたプロ野球ドラフト会議の結果、能登嵩都投手が阪神の5位、牧野憲伸投手が中日の育成1位、知念大成外野手が巨人の育成5位で指名を受けた。
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【PROFILE】
池田 拓史(いけだ ひろし)
株式会社新潟プロ野球団、代表取締役社長。新潟県南魚沼市出身。大学卒業後、リクルートグループでの広告求人の営業職を経てプロスポーツビジネスの世界へ。2006年よりBCリーグの立ち上げに携わり、2008年に球団へ転籍。2016年に現職就任。独立リーグ時代から黒字経営を積み上げ、2024年のNPBイースタン・リーグ新規参加を実現した。「“ふるさとのプロ野球”による地方創生」を掲げ、新潟に根ざした球団運営を続けている。