箱根駅伝の伝説を作った男たち!レジェンドの現在もご紹介!

編集部 スポジョバ

箱根駅伝の伝説を作った男たち!レジェンドの現在もご紹介!

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箱根から世界へ!箱根後も活躍し続けるレジェンドたち!

1920年から始まった箱根駅伝

長い歴史を誇る箱根駅伝では、日本中に感動を与える素晴らしい走りが多く生まれています。

また箱根駅伝は世界に通用する長距離のランナーを育てるために始まった大会で、箱根から世界へと活躍し続けている選手も多くいるのです。

今回は、その中でも箱根駅伝のスター選手たちを紹介していきます!

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箱根駅伝の始まりについて知りたい方はこちらをお読みください!
→箱根駅伝はいつから始まったの?テレビ中継や給水の始まりも解説!

昭和から令和まで!レジェンドたちを一挙ご紹介!

▼田中茂樹選手(日本大学)

1年次~4年次の1952年~55年(第28~31回大会)全てに出場し、2年次には山登りの5区で区間賞を獲得しています。

田中さんは、1951年に行われたボストンマラソンに19歳で出場し、日本人初となる優勝も果たしました。

当時は終戦後ということもあり、日本に大きな希望をもたらしたマラソン選手として多くの国民に注目されました。

故障により、大学卒業後に競技を引退しましたが、日本陸上競技連盟理事、全国マラソン連盟会長などを務め、1999年には「東京ハリアーズ」という陸上クラブを立ち上げています。

▼宇佐美彰郎選手(日本大学)

1964年~1966年(第40~42回大会)の箱根駅伝に出場し、9区で区間賞を獲得している選手です。

宇佐美さんは、メキシコオリンピック(1968年)、ミュンヘンオリンピック(1972年)、モントリオールオリンピック(1976年)と男子マラソンでオリンピックに3大会連続で出場しました。

日本陸上界でオリンピックの男子マラソンに3大会連続出場している選手は、君原健二さんと宇佐美さんの2人しかいません

1977年に競技を引退した後は、大学教授に就任。

多くの著書も出版し、全国でマラソンの指導や講演活動も行っています。

▼服部誠選手(東京農業大学)

1972~75年(第48~51回大会)の箱根で4年連続2区を走り、74年大会では、エース級の選手が多く集まる「花の2区」12人抜きを達成。

さらに、75年の箱根では当時の区間新記録を樹立した2区のスペシャリストです。

競技引退後は、実家の「服部牧場」を営んでいます。

▼大久保初男選手(大東文化大学)

大東文化大学が「山の大東」と呼ばれるきっかけとなった選手です。

1974年~1977年(第50~53回大会)に4年連続で山登りの5区を走り、区間賞を4年連続獲得

2年次には区間新記録を打ち立て、4年次に自らの区間記録を塗り替えるという偉業も達成しています。

競技引退後は、仙台大学の助教授として教団に立ち、陸上競技部の監督としても活動されていました。

▼瀬古利彦選手(早稲田大学)

1977年~1980年(第50回~53回大会)の箱根に出場。4年連続で花の2区を激走し、3年次と4年次に区間記録を更新。

大学生のころから駅伝とマラソンという2足の草鞋を履きながら日々練習していたそうです。

箱根駅伝での成績も輝かしいですが、大学4年時には福岡マラソンで優勝し、モスクワオリンピック(政治情勢を考慮して日本は不参加となりました)のマラソン選手に内定しました。

大学卒業後は実業団でマラソンに打ち込む日々を送りました。

マラソン成績は、福岡国際マラソン4勝、東京マラソン、琵琶湖マラソン、ボストンマラソン2勝、ロンドンマラソン1勝、シカゴマラソン1勝、などの大会で活躍し、日本のマラソンブームの立役者でもあります。

現在は、日本陸上競技連盟でマラソン強化プロジェクトリーダーとして、日本の若者を育成しています。

▼谷口浩美選手(日本体育大学)

1992年に行われたバルセロナオリンピックの男子マラソンに出場し、「こけちゃいました」の名言でおなじみの谷口選手。

谷口さんは、1991年の世界選手権男子マラソンで金メダルを獲得しています。

そんな谷口さんは日体大時代、「山下りのスペシャリスト」として1981年(第57回大会)から3年連続で6区を駆け抜け、全ての年で区間賞を獲得しました。

さらに、3年次、4年次には区間新記録を打ち出し、4年次の総合優勝の立役者となりました。

現在は、宮崎大学で特別教授をしながら、全国のマラソン大会でゲストランナーとして走り続けています。

▼渡辺康幸選手(早稲田大学)

高校生のころからスーパールーキーとして注目されていた渡辺選手。

大学進学の際には10以上の実業団や大学からスカウトが来ていたものの、前述の瀬古選手が在籍していた早稲田大学を選びました。

瀬古さんは「昭和のレジェンド」と誰もが憧れる選手。

渡辺さんがスカウトを断り早稲田大学を選んだのも瀬古さんに憧れていたためかもしれませんね。

箱根駅伝では、1993年(第69回大会)に行われた箱根で2区を走り、1年次に総合優勝、2年次~4年次までは準優勝に貢献しています。

3年次には2区の区間記録を塗り替え、前人未到の1時間6分台という記録を打ち出しました。

2002年にケガの影響で競技を引退した後は、母校である早稲田大学で駅伝監督を務めました。

現在は、住友電工の陸上部で監督をされているほか、解説者としても活躍されています。

▼今井正人選手(順天堂大学)

「初代山の神」こと今井選手は、2005年~2007年に3年連続で5区の区間記録を更新し、2年次には11人抜きという空前絶後の成績を残しています。

今井選手は現在も、実業団で競技を続けています。

▼佐藤悠基選手(東海大学)

陸上の天才と呼ばれるほどの実力を中学時代から発揮していた佐藤選手。

東海大学に入学すると、1年次から3年連続で3区、1区、7区の区間記録を更新したのです!

佐藤選手が樹立した1区の区間記録である1時間1分6秒という記録は、いまだに更新されていない最も古い区間記録となっています!

現在は、実業団でマラソンランナーとして活躍しています。

▼柏原竜二選手(東洋大学)

今井選手に続き「2代目山の神」と呼ばれた柏原選手。

柏原選手は1年次~4年次の全ての大会で5区に出場しました。

4年連続で5区を走ることだけでも十分に凄いことですが、柏原選手は4回中3回も区間記録を塗り替えているのです!

柏原選手の活躍もあり、東洋大学は、2009年、2010年、2012年と総合優勝を成し遂げました。

大学卒業後は実業団に加入しましたが、度重なるケガにより2017年に現役を引退。

現在は、富士通のアメリカンフットボール部でマネージャーを務めています。

▼神野大地選手(青山学院大学)

「3代目山の神」として青山学院大学を初の総合優勝に導いた神野選手です。

神野選手は3年次と4年次で5区を担当。

3年次で初となった山登りでは、圧巻の走りを見せ区間新記録を樹立しました。

現在は、プロランナーとしてマラソンに取り組んでいます。

▼相澤晃選手(東洋大学)

相澤選手は2020年の96回大会で花の2区を沸かせた選手です。

東洋大のキャプテンとして臨んだ最後の箱根駅伝で、相澤選手は前人未到の1時間5分台を達成し、区間新記録を叩き出しました!

大学卒業後は、実業団に所属し、2021年に行われた東京オリンピックでは男子10000mに出場するなどまさに「箱根から世界へ」と活躍の場を広げています!

いかがでしたか?

今回は箱根駅伝のスター選手をご紹介しました!

ここで取り上げた選手のほかにも、箱根駅伝史に残る素晴らしいランナーが沢山います!

ぜひ、お正月は箱根駅伝をチェックしてみてください!

歴史的な瞬間を目にすることが出来るかも!?

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