地獄と感謝を乗り越えて|スポジョバのゆかいな仲間たち(仮) Vol.27

スポジョバ 田中 嵐

地獄と感謝を乗り越えて|スポジョバのゆかいな仲間たち(仮) Vol.27

スポジョバ 田中 嵐

スポジョバをいつもご利用してくださりありがとうございます!おかげさまでスポジョバの登録者数が10万人を突破いたしました!事業拡大していく中で、スポジョバの中の人たちも増えてきました!スポジョバの愉快で個性的な仲間たちをご紹介していきます。ちょっとした隙間時間にさくっと読める内容になっております♪スポジョバにも興味をもってくださったらうれしいです!

(取材・執筆:中田 初葵)

野球人生の転機と「地獄」の高校時代

今までの人生をもう一度戻りたいかと言われると200%戻りたいと思いません。でも今までの野球の経験があったから今の自分があると自信をもって言えます。

野球との出合いは小学校4年生の頃。クラスの友達から誘われたことがきっかけでした。その当時親戚が甲子園に出場したのを見ていたこともあり、そこから野球にのめり込んでいくことに。地元の中学でも野球部に入った矢先、有名だった監督が異動になり新しく来た監督はバスケの経験者。もっとちゃんとした指導を受けたいと思い、硬式野球のクラブチームに移りました。そこが今となっては人生の転機だったのかもしれません。今までは野手でしたが、左利きということも活かしながら投手にならないかと勧められ、そこからエースまで駆け上ることができました。その頃から「甲子園」や「プロ」という道を視野にいれ始めたのではないかと思います。


いくつか声がかかっていた中の高校に進学し、野球の道を歩み始めましたが…。言ってしまえば本当に地獄。高校時代は毎日やめたいと思いながら生活をしていたことを思い出します。今思えば野球を続けてこられたことで、人格形成や上下関係、コミュニケーションなど自分のスタンダードが身についたと思いますが、当時は引退したら野球をやめようと考えていました。実際引退したときには、うれしくて涙が出ましたね(笑)

悔しさと感謝、野球がくれた人生

引退してからはもう野球の道には進まないと決めて、一般受験で大学に進むことにしました。でもいざ野球から離れてみると焦燥感というかおもろくなかったんです。また、中学時代のクラブチームの監督から連絡をもらい、独立リーグトライアウトを受けてみないかと誘われました。記念に受けてみたらまさかの合格。大学も合格をもらっていたため、家族とも相談をし好きな野球の道を再度歩み始めました。独立リーグの3年間は、自分の実力でご飯を食べていくことになる。だからこそ高校時代とは正反対でもっとやりたい・もっとうまくなりたいと練習に励んでいました。

高校時代は地獄を生き抜くために必死で頑張っていた3年間でしたが、こっちはNPBに行くために本気で頑張ることができました。そんな矢先に、試合中の怪我。投げた瞬間、「あ、終わったな」と感じ、その年に引退を決意することに。「引退」は学生時代にも経験してきましたが、ここが人生で一番悔しかったです。今までは諦めがつくくらい完全燃焼できていましたが、今回は不完全燃焼で初めて悔しいと思った瞬間でした。また戻りたいかと言われるともう戻りたいとは思いませんし、きっとのびのび野球をやっていたのかなとも感じます。ですが、今の自分を作ってくれたのは間違いなく野球ですし、たくさんの方々に支えてもらったのでその感謝の気持ちでいっぱいです。

いかがでしたか?
次回は、独立リーグ後のキャリアの出発点に迫ります!
お楽しみに!

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【PROFILE】
田中 嵐
マイブームは、子育て。子どもたちの日々の成長を見ることが楽しく、その成長を見ると自分ももっと頑張ろうと思えるそう。

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