【空手の歴史】起源に迫る!発祥の地やルーツは?

編集部 スポジョバ

【空手の歴史】起源に迫る!発祥の地やルーツは?

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空手は◯◯で生まれた!日本ではない!?

空手って武術だから、日本のスポーツ?」

「空手の元は何?いつからあるの?」

前回は、「格闘技の種類は大きく分けて〇種類?競技の特徴と併せて紹介!」で、格闘技の種類を紹介しました!

そんな格闘技の中でも、柔道に並んで認知度の高い空手。

そんな空手の歴史をあなたは知っていますか?

今回は、空手の歴史に注目します!

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空手は琉球王国発祥!2つの有力な説とは?

さて、空手道の起源や発祥ってどこだと思いますか?

武術という点から、日本発祥だと思いませんか?

実は、沖縄空手が発祥なのです。さらに言えば中国武術です。

諸説ありますが中国武術が沖縄空手へ、それが本土へ渡り現在の空手道のように様々な流派に分かれたのです。

ただ、これに関しても正しいとは言い切れません。

有力だといわれている2つの説を紹介したいと思います。

1.久米三十六姓輸入説(くめさんじゅうろくせいゆにゅうせつ)

現在の那覇市久米にあたる場所、当時は久米村という名前の地域がありました。

1392年に明王朝福建省から「閩(ビン)人三十六姓」という職能集団がそこに移住してきたと言われています。

彼らは当時の琉球王国にはなかった技術、学芸などを地元民へ伝えました。

その中に琉球空手の起源となる中国拳法もありました。

中国拳法から琉球空手に発展したという説は有名ではありますが、この時代の中国拳法も全盛期ではなくまだ不完全な状態だったため中国拳法が起源ということに疑問の声もあります。

しかし、同じく中国拳法を起源としている文献に禁武術政策以降の時代を書いた『慶長輸入説』や『大島筆記』などがあります。

この時代は清王朝なので、すでに中国武術全盛期です。


2.「舞方」からの発展説

もう1つの説は琉球舞踊の舞方(メーカタ、前方)からの発展説です。

沖縄の田舎へ行くと、舞方という音曲に合わせて踊る武術的な動作の舞踊があります。

江戸時代に本土にもあった奴(やっこ)のように舞踊行列の際に前払いする者のことをメーカタと呼びました。

これは行列の先頭で武術的な踊りを行っていたと言います。

このように武術的な要素を持った踊りから「手(ティー)」が生まれ唐手となる、

もしくは、舞方の動作の中に唐手以前の「手」の動作が残っていると言われています。

これは沖縄空手家の安里安恒氏や弟子の船越義珍氏が主張しています。

現在はこの手の動作に中国武術が加わり唐手へと発展した説が有力となっています。

沖縄空手家の本部朝基の、

「(支那拳法が)琉球在来の武術と合し、取捨選択洗練の結果、唐手として隆々発達を遂げた」

沖縄空手家で剛柔流派の開祖でもある宮城長順

「外来の拳法が在来の『手』と合流して異常の発達を遂げ」

この2つの説も「手」に中国武術の影響を受けて唐手へと発展したとする説と共通しています。


空手はいつから?明治より前は…

先ほどの説明からも現在の極真空手は、もともと沖縄の琉球空手が源流と考えることができると思います。

拳、蹴りを使う琉球王国の武術が中国武術、本土の柔術など様々な武術を取り入れて現在の空手へと発展したわけです。

しかし、空手の歴史はまだ分からないことも多く、明治時代の空手家が上記のように伝えているだけです。しっかりとした文献や資料が残っていません

すなわち、現代の日本で残っている伝統空手は明治時代以降の空手と言えます。

極真空手に至っては昭和に生まれた空手、フルコンタクト空手は2013年に正式競技となったので本当に最近と言えます。

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空手の流派はどうして生まれた!?

現在の日本でも空手は様々な流派があります。

伝統派、極真空手、フルコンタクト空手とありますが、なぜこのようにいろいろな流派に分かれたのでしょうか?

まず、琉球空手が認知されると「昭林流」「昭霊流」の二流派に分かれました。

前者は現在の沖縄空手昭林流、後者は剛柔流系へ発展したとされています。

現在の琉球空手は「首里手」「泊手」「那覇手」の三つに分かれています。

私たちが見るような本土の空手の流派が誕生したのは昭和の時代です。

空手の流派の始まりは、1930年に新里仁安が京都へ遠征した際に他武術との交流をした時とされています。

この頃はまだ流派というものがありませんでしたが、空手の演武を披露したところ流派を聞かれました。

困惑してしまい、これが理由で新里氏の師匠にあたる宮城長順が「剛柔流」と命名します。これが空手の流派の始まりです。

1922年には東京で空手の普及活動をしていた船越義珍が松濤館流を名乗ります。

このようにして次々と空手の流派が派生していくわけです。

琉球空手は今も「首里手」と「那覇手」に大別されますが、力を重視する那覇手は現在の剛柔流や上地流にあたります。

伝統派空手の松濤館・和道流は首里手、剛柔流は那覇手となります。

糸東流も糸洲安恒と東恩納寛量の名前から取っています。こちらも沖縄空手の「首里手」と「那覇手」の両方の型が特徴的です。

極真空手は源流が剛柔流と松濤館流ですので「首里手」と「那覇手」の両方が含まれているものの顕著に見られるのは「那覇手」になります。


さらに、2013年に誕生したフルコンタクト空手などスポーツ競技へと発展したわけです。

このように空手も武術からスポーツへ発展したことで、興行として楽しめるものになったのは非常に良いことなのではないかと思います。

競技として世界交流することが出来れば、経済発展にも繋がるので現代社会では空手というものをスポーツとして活かすことになると思います。

オリンピックの正式競技にも加わりましたので期待したいところですね!

今回は、空手の歴史に注目しました。空手の元の姿や流派の始まりを知ることが出来たと思います。

観戦の際には、起源を意識してみるのも1つの楽しみになるかもしれませんね。

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空手は琉球王国発祥!2つの有力な説とは?

さて、空手道の起源や発祥ってどこだと思いますか?

武術という点から、日本発祥だと思いませんか?

実は、沖縄空手が発祥なのです。さらに言えば中国武術です。

諸説ありますが中国武術が沖縄空手へ、それが本土へ渡り現在の空手道のように様々な流派に分かれたのです。

ただ、これに関しても正しいとは言い切れません。

有力だといわれている2つの説を紹介したいと思います。

1.久米三十六姓輸入説(くめさんじゅうろくせいゆにゅうせつ)

現在の那覇市久米にあたる場所、当時は久米村という名前の地域がありました。

1392年に明王朝福建省から「閩(ビン)人三十六姓」という職能集団がそこに移住してきたと言われています。

彼らは当時の琉球王国にはなかった技術、学芸などを地元民へ伝えました。

その中に琉球空手の起源となる中国拳法もありました。

中国拳法から琉球空手に発展したという説は有名ではありますが、この時代の中国拳法も全盛期ではなくまだ不完全な状態だったため中国拳法が起源ということに疑問の声もあります。

しかし、同じく中国拳法を起源としている文献に禁武術政策以降の時代を書いた『慶長輸入説』や『大島筆記』などがあります。

この時代は清王朝なので、すでに中国武術全盛期です。


2.「舞方」からの発展説

もう1つの説は琉球舞踊の舞方(メーカタ、前方)からの発展説です。

沖縄の田舎へ行くと、舞方という音曲に合わせて踊る武術的な動作の舞踊があります。

江戸時代に本土にもあった奴(やっこ)のように舞踊行列の際に前払いする者のことをメーカタと呼びました。

これは行列の先頭で武術的な踊りを行っていたと言います。

このように武術的な要素を持った踊りから「手(ティー)」が生まれ唐手となる、

もしくは、舞方の動作の中に唐手以前の「手」の動作が残っていると言われています。

これは沖縄空手家の安里安恒氏や弟子の船越義珍氏が主張しています。

現在はこの手の動作に中国武術が加わり唐手へと発展した説が有力となっています。

沖縄空手家の本部朝基の、

「(支那拳法が)琉球在来の武術と合し、取捨選択洗練の結果、唐手として隆々発達を遂げた」

沖縄空手家で剛柔流派の開祖でもある宮城長順

「外来の拳法が在来の『手』と合流して異常の発達を遂げ」

この2つの説も「手」に中国武術の影響を受けて唐手へと発展したとする説と共通しています。


空手はいつから?明治より前は…

先ほどの説明からも現在の極真空手は、もともと沖縄の琉球空手が源流と考えることができると思います。

拳、蹴りを使う琉球王国の武術が中国武術、本土の柔術など様々な武術を取り入れて現在の空手へと発展したわけです。

しかし、空手の歴史はまだ分からないことも多く、明治時代の空手家が上記のように伝えているだけです。しっかりとした文献や資料が残っていません

すなわち、現代の日本で残っている伝統空手は明治時代以降の空手と言えます。

極真空手に至っては昭和に生まれた空手、フルコンタクト空手は2013年に正式競技となったので本当に最近と言えます。

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空手の流派はどうして生まれた!?

現在の日本でも空手は様々な流派があります。

伝統派、極真空手、フルコンタクト空手とありますが、なぜこのようにいろいろな流派に分かれたのでしょうか?

まず、琉球空手が認知されると「昭林流」「昭霊流」の二流派に分かれました。

前者は現在の沖縄空手昭林流、後者は剛柔流系へ発展したとされています。

現在の琉球空手は「首里手」「泊手」「那覇手」の三つに分かれています。

私たちが見るような本土の空手の流派が誕生したのは昭和の時代です。

空手の流派の始まりは、1930年に新里仁安が京都へ遠征した際に他武術との交流をした時とされています。

この頃はまだ流派というものがありませんでしたが、空手の演武を披露したところ流派を聞かれました。

困惑してしまい、これが理由で新里氏の師匠にあたる宮城長順が「剛柔流」と命名します。これが空手の流派の始まりです。

1922年には東京で空手の普及活動をしていた船越義珍が松濤館流を名乗ります。

このようにして次々と空手の流派が派生していくわけです。

琉球空手は今も「首里手」と「那覇手」に大別されますが、力を重視する那覇手は現在の剛柔流や上地流にあたります。

伝統派空手の松濤館・和道流は首里手、剛柔流は那覇手となります。

糸東流も糸洲安恒と東恩納寛量の名前から取っています。こちらも沖縄空手の「首里手」と「那覇手」の両方の型が特徴的です。

極真空手は源流が剛柔流と松濤館流ですので「首里手」と「那覇手」の両方が含まれているものの顕著に見られるのは「那覇手」になります。


さらに、2013年に誕生したフルコンタクト空手などスポーツ競技へと発展したわけです。

このように空手も武術からスポーツへ発展したことで、興行として楽しめるものになったのは非常に良いことなのではないかと思います。

競技として世界交流することが出来れば、経済発展にも繋がるので現代社会では空手というものをスポーツとして活かすことになると思います。

オリンピックの正式競技にも加わりましたので期待したいところですね!

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