「フリーランスって大変じゃない?」よく言われます、この言葉。アナウンサー、スポーツライター、編集者。複数の仕事を並行し、全てフリーランスで生計を立てている編集者(34歳 独身 ♀)。私なりの価値観をつぶやきます。
前回連載はこちら→フリーランスの仕事論(6)「文章は”数学”」
アナウンサーである私が、なぜスポーツライターもするようになったのか?それは紛れもなく、「パラスポーツ」に夢中になったからです。もちろん、話す仕事は楽しいし、天職だと思っているし、生まれ変わってもまたアナウンサーになりたいと思う。でもこれからは、「アナウンサーだけ」ではなく、「アナウンサーも」できる人間になる。そして、「伝える」ということにフォーカスすると、その方法は沢山あるのではないかと思うように至ったからです。
では、なぜここまで自分をパラスポーツに捧げるようになったのか?それは、あるパラアスリートとの出会いがあったからです。
それは2011年の秋。私がNHK高知放送局で報道のメインキャスターをしていたときのことです。当時は番組内で記者・カメラマン・ディレクター・編集マン・キャスターが持ち回りで企画を自ら作って放送に出すことになっており、スポーツが大好きな私はスポーツ企画ばかり出していました。そこで出会ったのが、車いすラグビー日本代表のキャプテン・池透暢選手でした。(車いすラグビーは2016年リオパラリンピックで銅メダル、2018年世界選手権では金メダルを獲得しており、2020年の金メダルが期待される注目競技です!)
当時の池選手は、車いすラグビーではなく車いすバスケットボールでロンドンを目指していました。初めて見るパラスポーツ。初めて話す車いすアスリート。その迫力のあるプレーにただただ圧倒されたのです。
池選手は19歳の時に遭った交通事故で左足を切断、左手にまひを負いました。全身にやけどを負い、2年半の入院生活で手術は40回にも及んでいます。そんな彼が、片手で放つ華麗なシュート。「なんでそんなことができるの!?」と感じた衝撃が今でも忘れられません。
その時、インタビューで池選手が言った言葉はこうです。「右手だけしか使えないからやらないんじゃない。右手だけでもやってやる」と。そして、「最初に、ボールを触れるようになった。次に、投げられるようになった。そして、シュートを打てるようになった。一つずつ目の前のことをクリアしていった先に、パラリンピックが見えてきた」と。
そこから、自分自身辛い時はいつも、この言葉を思い出して頑張れるようになりました。私の座右の銘は「環境を言い訳にしない」になりました。今できることを、100%やる。つまり、パラアスリートの言葉によって私の人生は変わることができた。だから、パラスポーツをもっと知りたいし、みんなにも伝えたいと思うようになったのです。
それを伝えるためには、記事をいっぱい書きたい。伝えたい思いを、文章にいっぱい込めたい。
私は、今日もパソコンに向かっています。
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