「GOLDWIN」に見る、大手メーカーの歴史と未来予想図(前編)

株式会社ゴールドウイン 山本雅弘

「GOLDWIN」に見る、大手メーカーの歴史と未来予想図(前編)

株式会社ゴールドウイン 山本雅弘

Goldwin(ゴールドウイン)」は、自社ブランドのほか「THE NORTH FACE(ザ・ノースフェイス)」「ellesse(エレッセ)」「Canterbury of New Zealand(カンタベリー・オブ・ニュージーランド)」など、数々のブランドを展開するスポーツメーカー。

その他、オリンピック・パラリンピック競技へのユニフォームの提供など、誰もが知る大手スポーツ企業です。

今回お会いしたのは、販売本部の山本雅弘さん(64歳)。前編では、70年の歴史を誇るゴールドウインについて、私たちが知らなかった会社の歴史や現場のこと、ゴールドウインに入社したきっかけについて伺いました。

(取材・構成=スポジョバ編集長 久下真以子)



社名の由来は1964年東京オリンピック?ゴールドウインの歴史


ーーゴールドウインは、創業70年。長い歴史を誇っていますよね。

山本:もともと富山県にある会社で、今も工場がそこにあります。前身は「津沢メリヤス」という肌着を製造する会社だったんです。1964年に東京オリンピックのユニフォームの製造依頼を受けたことが最初の転機でした。レスリングや器械体操、そういった競技ユニフォームも全部作りましたし、その中で女子バレーボールは金メダルを取るわけです。

ーー「東洋の魔女」は歴史に名を刻みましたね。

山本:それで先代の社長が「これからはスポーツの時代だ」といって、富山から東京に出てきたんです。東京オリンピック前年に社名を「ゴールドウイン」に変更しているんですけど、由来をご存知でしょうか?「ゴールド=金」で「ウイン=勝つ」。つまり、金メダルを取るという意味が込められているんです。

ーーそれは知らなかったです!

山本:次の転機が1980年代後半。イタリアのスポーツウエアブランド「ellesse(エレッセ)」と提携してスキーウエアを作っているときに、「私をスキーに連れてって」という原田知世さん主演の映画が大ヒット。世の中にスキーブームが起こりました。ユーミンの「恋人はサンタクロース」が挿入歌でしたね。上下1着10万円のスキーウエアが弊社からどんどん売れていきました。

ーー時代にうまく乗っていますね!

山本:その後も「HELLY HANSEN(ヘリーハンセン)」「Champion(チャンピオン)、そして「THE NORTH FACE(ザ・ノースフェイス)」などたくさん手掛けさせてもらって、ここまで来ました。どの会社も未来の保証なんてないですけど、先代の思いを引き継いで、こだわりだけは持ってやってきました。それが、「自社工場だけは手放さないこと」。そして、「メーカーとして高品質を求め続けること」です。登山ウエアだったら、三浦雄一郎さんが認めてくれるものじゃないといけないし、エベレストを登れるようなものでないといけない。結果としてそれを一般の方々がオシャレとして着ていただけると、私たちはハッピーなんです。






こだわりは「日本一の研究開発施設」。内側ではどんなことが行われている!?


ーー研究開発施設が、日本一の規模だそうですね。

山本:日本一の近代化工場として作られた場所が、現在は研究開発施設になっています。中には「人工気象室」というのがあります。

ーー人工気象室?

山本:人工的にいろんな気象条件を作る部屋です。-30度から+50度までの温度管理が出来たり、200ミリの雨を降らせたり、その中で実際に社員がウエアを着てトレッドミルや自転車で走って、どこが伸びるのかや蒸れが発生するかどうかなどをセンサーで調べるんです。その検査を通らないと、商品として出せないことになっています。

ーーそれだけ厳しい検査を通せば、安心感があります。

山本:機能だけを追求するとデザイナーの形から離れていってしまうので、ゴールドウインは機能だけではなく「機能美」を追求しています。例えば、脇繰りだったらゆったりとしたシルエットが流行っていますが、引っ張られた時の耐性としては弱くなります。だからそこは1mmの戦いですね。

ーー機能とデザイン、両立は奥深いのですね…

山本:例えばテニスとかゴルフのシャツって、腕を振った時にピュッと裾が出るじゃないですか。でもゴールドウインのシャツは出ないんですよ。そこまで考えられて作られているものは多くないので、ピュッと出るんです。こんな感じで。あ、写真撮っときます?






小売業で開けた「スポーツへの道」。全ての経験が財産に


ーー山本さんは、最初は別の企業にいらしたと伺っています。

山本:もともと大学・社会人とアメリカンフットボールをやっていまして、新卒でダイエーグループに入社しました。その頃のダイエーは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していて、小売業の中でトップでした。全国に年間40店舗の出店をしていましたから、ほぼ週1ペースですよね。そこでスポーツ部門に配属されました。最初は売り場に立っていて、自転車の担当だったときには1日に600台売れた記録もあります。ペダルも補助輪もブレーキも全部解体された状態で入荷されるので、夜遅くまで残って組み立ててね…もう手が痛くて痛くて。精神的にはアメフトの練習よりもきつかったです。

ーーそれはきつそう…。

山本:その後は本社に異動になり、バイヤー職も担当していました。自分の裁量で取引先から商品を買うかどうか、何個買うかを決めることができる立場。20代後半でそれをさせてもらっていましたから、相当生意気な奴だったと思います(笑)

ーー(笑)。でもすごくやりがいのありそうな仕事ですよね。

山本:いろんなプロジェクトに参加させてもらっていましたので、のちのキャリアの下積みといいますか、経験値としては非常に大きいものがありましたね。ただ、ダイエーグループは食品や日用品も含めていろんなポジションがあります。私はダイエーグループで働くことでスポーツ分野への思いをより強くしたので、ご縁があってゴールドウインへの転職を決めました。






▶▶ 「GOLDWIN」に見る、大手メーカーの歴史と未来予想図(後編)につづく


【PROFILE】

山本雅弘(やまもと・まさひろ)

大阪府出身。近畿大学アメリカンフットボール部を経て、新卒で(株)パシフィックスポーツ(ダイエーグループ)に入社。33歳で株式会社ゴールドウインに転職。現在は販売本部に所属する傍ら、ゼット株式会社に出向し小売店のサポートやアドバイスを担当している。1955年10月18日生まれ。郷ひろみと同じ生年月日。


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第1位

第2位

第3位

第4位

第5位

設立年月 1951年12月
代表者 代表取締役社長 渡辺 貴生
従業員数 1,729名(グループ 2,526名)
業務内容

次の各種スポーツ用品の製造および販売

アウトドアスタイル関連商品
登山用ウエア、マリンウエア、アウトドア用品および関連商品
アスレチックスタイル関連商品
トレーニングウエア、テニスウエア、フィットネスウエア、スイムウエア、ゴルフウエア、ラグビーウエアおよび関連商品
アクティブスタイル関連商品
スキーウエア、スノーボードウエア、モーターサイクルウエアおよび関連商品
その他
機能アンダーウエア、ハイテックウエア(防塵服)、OEMなど

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