合言葉は『夢を現実に』。アースフレンズ東京Zが歩んできた軌跡

株式会社GWC代表取締役社長 山野 勝行

合言葉は『夢を現実に』。アースフレンズ東京Zが歩んできた軌跡

株式会社GWC代表取締役社長 山野 勝行

「プロスポーツチームを作る

アナタは考えたことがありますか?

プロスポーツチームで「働く」でも「入る」でもなく「作る」

全く違う業界でサラリーマンをしていた現株式会社GWC代表の山野勝行さんは、脱サラして0からプロバスケットボールチームを作ります。もちろん未経験。お金も人も場所も何にもない。「そんな会社に、銀行はお金なんて貸してくれないよ。」周りにはそう言われたそうです。創業から8年が経った今、チームはBリーグの舞台で大企業のチームと肩を並べて戦っています。

これは、今、明かされる「アースフレンズ東京Z」創業物語です。


(取材=スポジョバ編集部 荻野仁美:構成=スポジョバ編集部 小林亘)

(PR)気軽にスポーツ情報ツウ?!「スポジョバ」公式LINEはこちら!


バスケとの出会い。世界で活躍する選手を育てたい

ーー山野さんはもともとバスケ経験が豊富にあるわけではないと伺ったのですが、バスケとの出会いから教えて下さい。

山野:はい。昔からサッカーや野球といった球技は大好きで、横浜出身という事もありベイスターズ(横浜DeNAベイスターズ)やマリノス(横浜F・マリノス)の試合はよく見に行っていました。それが、たまたま20代後半の時にバスケの試合を初めて見て、何だこれすごく面白い!と思って、好きなスポーツの1つになりました。

ーー最初に山野さんが感じたバスケの面白さってどんな所でしょうか?

山野:まずは展開がスピ―ディーで点がよく入る所。あと、最後の最後まで結果がわからない所。10点くらい点差が開いていてもひっくり変える可能性がいくらでもあるし、2点差なんてほぼ同点ですからね。それから、小柄な選手もスターになれる!これ最高なんですよ!千葉ジェッツの富樫選手が日本で初めてBリーグの1億円プレーヤーになりましたけど、他のスポーツだと可能性低いと思うんですよ、小柄な選手がスタープレーヤーになるって。僕、小が大を倒すっていう構図が大好きなんです!

ーー富樫選手の存在は夢を与えますよね!山野さんがバスケに出会った頃って、もちろんBリーグ開幕前。日本のバスケはどんな状況でしたか?

山野:当時、バスケはあまり人気がなくて、こんなに面白いのになんでだろう?NBAやヨーロッパ、中東や中国でも盛り上がっているのに、もったいないなと思っていました。あと、日本代表がオリンピックに出られないくらい弱かった。代表が弱いとメディアも扱わないし人気が出ずらいんですよね。代表戦ですら、メディアで扱われない状況でしたよ。これを何とかしたいなって思っていました。

ーーそんなバスケの面白さと可能性から起業を考えたのですね。

山野:もともと35歳になったら、夢に向かって何かやりたいなと思っていたんです。社長になりたいとかではなく、好きなことにチャレンジしたい。そこで、どうせなら日本代表がオリンピックでメダルをとる所に自分の力を使いたいなと。日本代表が勝つために、自分でクラブを作って世界で活躍する人財を輩出したいと思ったんです。





アースフレンズ東京Z創成期。山野さんがベンチャーにこだわるワケとは

ーーそこで35歳の時、バスケに関わることを始められたのですね。初めはどういった形だったのでしょうか?

山野:最初は大人のバスケサークルから。会社員として勤務しながら、土日のボランティアとして「わいわいバスケットボールスクールチーム」「わいわい練習会」というコミュニティを運営していました。スタートして2年程経った頃には会員が200人くらいになって、売上も立つようになったので、2012年、37歳の時に会社を辞めてサークル活動を社団法人にしたんです。

ーーバスケサークルからのスタートだったのですね。その頃から将来はプロチームにと考えていましたか?

山野:それは考えていました。大人のバスケサークルにしたのも、その人たちが将来ファンになってくれるかなぁと思って。ファンベース作りも兼ねていました。またスクール事業と並行する形で、将来のプロ化を見据えてアマチュア日本一を目指す、神奈川県登録のクラブを作って「アースフレンズ」というチーム名で活動を始めました。

ーー自分でクラブを「作る」。なかなかない発想だと思います。どこか既存のチームに入って経営層に入るとか、そういった事は考えなかったのですか?

山野:それだったら僕がやる意味がないですから。僕が今も大企業の資本に頼らずベンチャー企業でやっているのは、小が大を倒すのが大好きだからなんです。大企業の仕組みの中で、お金儲けをする事には興味がないんです。ベンチャーがスポーツ経営をする事によって、経営界や企業家に、プロスポーツの世界で起業できるんだっていうのを見せたいと思っています。

ーーそこに山野さんの強い意志を感じます!

山野:その分、大変な事も沢山ありましたけどね(笑)そうしてプロ化を目指して、アマチュアチーム「アースフレンズ」として戦っていたシーズン3年目、2013年の夏。ここで転機があったんです。





金がないなら知恵をだせ。「事件です!」

ーー2013年の夏、なにがあったのでしょうか?

山野:親交のあった当時NBDLの黒田電気さん(黒田電気ブリット・スピリッツ)から連絡を頂いてNBDLの会員権の譲渡をしたいという打診をいただいたんです!トップリーグ入りを目指していたこと、そして黒田電気さんの想いを継いでいきたいという考えから権利を譲り受けることとなりました。そこからリーグの審査も受かって、正式に2013年11月に株式会社GWCを作って、拠点を東京都城南エリアとし、「アースフレンズ東京Z」に名前を改めトップリーグの仲間入りをする事になりました。

ーーすごい!引きが強いというか、運の強さを感じます!でも、山野さんはプロチームの運営に関してはゼロからのスタートですよね。

山野:そうです。審査が通って1年後にはリーグも始まるのですが、そもそも選手ってどうやって集めるんですか?外国籍選手なんてどこにいるんですか?からのスタートです(笑)選手もお金も体育館も何もないんですよ。

ーーそんな状況で、まず何から始めたのでしょうか?

山野:「金がないなら知恵を出せ」っていうのが僕の考えのひとつにあって。ベンチャーが大企業と同じことをしても勝てないじゃないですか。だから勝てるポイントをひたすら攻める事が大事。いい選手を沢山とるなんて出来ない。じゃあまずは監督だ!と。いいリーダー、監督を最高にしようと。

ーーそれで白羽の矢を立てたのが、元日本代表監督の小野秀二さんですね。

山野:実は、僕が初めて見たバスケの試合も小野さんが監督しているチームの試合だったんです。その時、すごく激しく熱い人がいた。それが小野さん。もうこの人しかいないと交渉を始めましたが、当時のうちのスタッフにも言われましたよ。「小野さんがうちに来てくれるなんてあり得ない。来たら事件です!」って(笑)それだけ言われると僕は逆にチャンスだなと思うんですよね。そこから小野さんに猛アタックして、9ヶ月後やっと首を縦に振ってもらえました。

ーーおぉ!開幕にはギリギリ間に合いましたね。

山野:9月の開幕に向けて5月くらいから各チーム練習を始めなきゃいけないんですが3月でもまだ交渉しているから、小野さんも「代表さ、さすがに練習始めないとヤバいよ」って心配し始めて(笑)

ーーその時、少しは選手って集まっていたんですか?

山野:いやいやほとんど0です。1人も集まっていない中でずっと口説き続けて、4月に初めて小野さんが「わかった!代表と一緒に世界目指すよ!」って言ってくれたんです。スタッフもびっくり!やればできるんだって。

ーーいきなり事件起こしちゃいましたね!

山野:組織はリーダー次第なんです。リーダーがどれくらいの思いで、どういうアクション起こして、どういう結果を残すか。リーダーを見誤るとダメージ大きいし、見誤らなければ黙っていてもある程度の成果に繋がると思います。リーダーの器がとても重要だと思います。





知られざるB.LEAGUE開幕、その舞台裏では・・・

ーーそしてプロチームとして戦う3年目。遂に、日本のプロバスケ界がひとつになるBリーグ開幕を迎えました。

山野:開幕前、当時はすごい分裂状態でした。その状況の中、初代チェアマンの川淵三郎さんが、半年間にたった3回の会議で統合させました。半年間3回の会議で統合決定ですからね。これもまたリーダーの力ですよ!

ーー歴史の一幕ですね。

山野:それでBリーグが誕生する事になりました。開幕に向けて各チームが何部に所属するかの審査が7月末に行われる事に。うちは今後の経営も考えると絶対にB2に入りたかった。絶対にB2に入りたかったのですが、その為には、アリーナを獲得しなきゃいけなかったんです。

ーー今もホームアリーナとなっている大田区総合体育館ですね。

山野:はい。東京には他にもチームがたくさんあるので、ライバルは多かったです。その中で「金がなければ知恵を出せ」であらゆる戦略をたてました。そして最後の決め手が「区民のみなさまの声」です。

ーー大田区民の声ですか?

山野:そうです。地域の皆様の声をひたすら集めたんです。例えば商店街会長さんとかそういった方のところに足繁く通って情熱を伝えました。「こういう思いで!大田区を、スポーツを変えるんです!バスケットで世界に行くんです!山野と申します!」って。最初は「バスケ?」って思ってた方にも、だんだん思いが伝わって。その皆さんの声が行政に届くんです。「アースフレンズ東京Zに大田区総合体育館を使わせてあげよう」って。これが地域の力ですよね。そして7月半ばに大田区から「アースフレンズ東京Zさんの力で大田区を盛り上げてください!」って言ってもらえました。

ーードラマチックな展開・・・!

山野:タイムリミットの2週間前にアリーナが決まって、そこから審査が始まり7月の終わりにB2参入が決まりした。ここがうちの第一創業のハイライトシーンです。あの時、アリーナを獲得出来ていなかったら、今うちのチームはないと思います。後はBリーグの波に乗っかっていった感じですね。最初はB2全18チーム中、入場者数も売上も18位だったんです。Bリーグの中で一番歴史も浅いし、個人オーナーだし。でもそこから4年間がつがつ動き回って、入場者数が8位、売上が9位。配分金順位に至っては3位ですよ。スタッフの頑張りももちろんだし、あとはアリーナの時のように、多くの人に助けてもらえたから今がありますね。


▶▶▶強い情熱と知恵で、数々のチャンスをものにしてきた「アースフレンズ東京Z」。後半では、2021年6月に迎える第二創業期、そこにかける熱い思いを伺います!




【PROFILE】

山野 勝行(やまの かつゆき)

1975年生まれ、神奈川県横浜市出身。高校時代はハンドボール部。球技大好き。大学卒業後の1999年(現)三菱UFJモルガンスタンレー証券株式会社入社。その後、不動産インフォメディア株式会社、三井不動産リアルティ株式会社などで勤務。2012年に一般社団法人スポーツコミュニティジャパンを設立し代表理事に就任。2013年、株式会社GWCを設立し、現在も「アースフレンズ東京Z」の運営を行う。


▼アースフレンズ東京Zの求人はコチラ▼


バスケットボールのピックアップ求人





バスケットボールのピックアップ記事




▶▶バスケットボールの記事一覧をみる

▶▶バスケットボールの求人をみる



最新の取材記事


スポジョバ公式ライン



(PR)スポーツ求人の掲載ならスポジョバ!期間無制限で掲載費無料!



「プロスポーツチームを作る

アナタは考えたことがありますか?

プロスポーツチームで「働く」でも「入る」でもなく「作る」

全く違う業界でサラリーマンをしていた現株式会社GWC代表の山野勝行さんは、脱サラして0からプロバスケットボールチームを作ります。もちろん未経験。お金も人も場所も何にもない。「そんな会社に、銀行はお金なんて貸してくれないよ。」周りにはそう言われたそうです。創業から8年が経った今、チームはBリーグの舞台で大企業のチームと肩を並べて戦っています。

これは、今、明かされる「アースフレンズ東京Z」創業物語です。


(取材=スポジョバ編集部 荻野仁美:構成=スポジョバ編集部 小林亘)

(PR)気軽にスポーツ情報ツウ?!「スポジョバ」公式LINEはこちら!


バスケとの出会い。世界で活躍する選手を育てたい

ーー山野さんはもともとバスケ経験が豊富にあるわけではないと伺ったのですが、バスケとの出会いから教えて下さい。

山野:はい。昔からサッカーや野球といった球技は大好きで、横浜出身という事もありベイスターズ(横浜DeNAベイスターズ)やマリノス(横浜F・マリノス)の試合はよく見に行っていました。それが、たまたま20代後半の時にバスケの試合を初めて見て、何だこれすごく面白い!と思って、好きなスポーツの1つになりました。

ーー最初に山野さんが感じたバスケの面白さってどんな所でしょうか?

山野:まずは展開がスピ―ディーで点がよく入る所。あと、最後の最後まで結果がわからない所。10点くらい点差が開いていてもひっくり変える可能性がいくらでもあるし、2点差なんてほぼ同点ですからね。それから、小柄な選手もスターになれる!これ最高なんですよ!千葉ジェッツの富樫選手が日本で初めてBリーグの1億円プレーヤーになりましたけど、他のスポーツだと可能性低いと思うんですよ、小柄な選手がスタープレーヤーになるって。僕、小が大を倒すっていう構図が大好きなんです!

ーー富樫選手の存在は夢を与えますよね!山野さんがバスケに出会った頃って、もちろんBリーグ開幕前。日本のバスケはどんな状況でしたか?

山野:当時、バスケはあまり人気がなくて、こんなに面白いのになんでだろう?NBAやヨーロッパ、中東や中国でも盛り上がっているのに、もったいないなと思っていました。あと、日本代表がオリンピックに出られないくらい弱かった。代表が弱いとメディアも扱わないし人気が出ずらいんですよね。代表戦ですら、メディアで扱われない状況でしたよ。これを何とかしたいなって思っていました。

ーーそんなバスケの面白さと可能性から起業を考えたのですね。

山野:もともと35歳になったら、夢に向かって何かやりたいなと思っていたんです。社長になりたいとかではなく、好きなことにチャレンジしたい。そこで、どうせなら日本代表がオリンピックでメダルをとる所に自分の力を使いたいなと。日本代表が勝つために、自分でクラブを作って世界で活躍する人財を輩出したいと思ったんです。





アースフレンズ東京Z創成期。山野さんがベンチャーにこだわるワケとは

ーーそこで35歳の時、バスケに関わることを始められたのですね。初めはどういった形だったのでしょうか?

山野:最初は大人のバスケサークルから。会社員として勤務しながら、土日のボランティアとして「わいわいバスケットボールスクールチーム」「わいわい練習会」というコミュニティを運営していました。スタートして2年程経った頃には会員が200人くらいになって、売上も立つようになったので、2012年、37歳の時に会社を辞めてサークル活動を社団法人にしたんです。

ーーバスケサークルからのスタートだったのですね。その頃から将来はプロチームにと考えていましたか?

山野:それは考えていました。大人のバスケサークルにしたのも、その人たちが将来ファンになってくれるかなぁと思って。ファンベース作りも兼ねていました。またスクール事業と並行する形で、将来のプロ化を見据えてアマチュア日本一を目指す、神奈川県登録のクラブを作って「アースフレンズ」というチーム名で活動を始めました。

ーー自分でクラブを「作る」。なかなかない発想だと思います。どこか既存のチームに入って経営層に入るとか、そういった事は考えなかったのですか?

山野:それだったら僕がやる意味がないですから。僕が今も大企業の資本に頼らずベンチャー企業でやっているのは、小が大を倒すのが大好きだからなんです。大企業の仕組みの中で、お金儲けをする事には興味がないんです。ベンチャーがスポーツ経営をする事によって、経営界や企業家に、プロスポーツの世界で起業できるんだっていうのを見せたいと思っています。

ーーそこに山野さんの強い意志を感じます!

山野:その分、大変な事も沢山ありましたけどね(笑)そうしてプロ化を目指して、アマチュアチーム「アースフレンズ」として戦っていたシーズン3年目、2013年の夏。ここで転機があったんです。





金がないなら知恵をだせ。「事件です!」

ーー2013年の夏、なにがあったのでしょうか?

山野:親交のあった当時NBDLの黒田電気さん(黒田電気ブリット・スピリッツ)から連絡を頂いてNBDLの会員権の譲渡をしたいという打診をいただいたんです!トップリーグ入りを目指していたこと、そして黒田電気さんの想いを継いでいきたいという考えから権利を譲り受けることとなりました。そこからリーグの審査も受かって、正式に2013年11月に株式会社GWCを作って、拠点を東京都城南エリアとし、「アースフレンズ東京Z」に名前を改めトップリーグの仲間入りをする事になりました。

ーーすごい!引きが強いというか、運の強さを感じます!でも、山野さんはプロチームの運営に関してはゼロからのスタートですよね。

山野:そうです。審査が通って1年後にはリーグも始まるのですが、そもそも選手ってどうやって集めるんですか?外国籍選手なんてどこにいるんですか?からのスタートです(笑)選手もお金も体育館も何もないんですよ。

ーーそんな状況で、まず何から始めたのでしょうか?

山野:「金がないなら知恵を出せ」っていうのが僕の考えのひとつにあって。ベンチャーが大企業と同じことをしても勝てないじゃないですか。だから勝てるポイントをひたすら攻める事が大事。いい選手を沢山とるなんて出来ない。じゃあまずは監督だ!と。いいリーダー、監督を最高にしようと。

ーーそれで白羽の矢を立てたのが、元日本代表監督の小野秀二さんですね。

山野:実は、僕が初めて見たバスケの試合も小野さんが監督しているチームの試合だったんです。その時、すごく激しく熱い人がいた。それが小野さん。もうこの人しかいないと交渉を始めましたが、当時のうちのスタッフにも言われましたよ。「小野さんがうちに来てくれるなんてあり得ない。来たら事件です!」って(笑)それだけ言われると僕は逆にチャンスだなと思うんですよね。そこから小野さんに猛アタックして、9ヶ月後やっと首を縦に振ってもらえました。

ーーおぉ!開幕にはギリギリ間に合いましたね。

山野:9月の開幕に向けて5月くらいから各チーム練習を始めなきゃいけないんですが3月でもまだ交渉しているから、小野さんも「代表さ、さすがに練習始めないとヤバいよ」って心配し始めて(笑)

ーーその時、少しは選手って集まっていたんですか?

山野:いやいやほとんど0です。1人も集まっていない中でずっと口説き続けて、4月に初めて小野さんが「わかった!代表と一緒に世界目指すよ!」って言ってくれたんです。スタッフもびっくり!やればできるんだって。

ーーいきなり事件起こしちゃいましたね!

山野:組織はリーダー次第なんです。リーダーがどれくらいの思いで、どういうアクション起こして、どういう結果を残すか。リーダーを見誤るとダメージ大きいし、見誤らなければ黙っていてもある程度の成果に繋がると思います。リーダーの器がとても重要だと思います。





知られざるB.LEAGUE開幕、その舞台裏では・・・

ーーそしてプロチームとして戦う3年目。遂に、日本のプロバスケ界がひとつになるBリーグ開幕を迎えました。

山野:開幕前、当時はすごい分裂状態でした。その状況の中、初代チェアマンの川淵三郎さんが、半年間にたった3回の会議で統合させました。半年間3回の会議で統合決定ですからね。これもまたリーダーの力ですよ!

ーー歴史の一幕ですね。

山野:それでBリーグが誕生する事になりました。開幕に向けて各チームが何部に所属するかの審査が7月末に行われる事に。うちは今後の経営も考えると絶対にB2に入りたかった。絶対にB2に入りたかったのですが、その為には、アリーナを獲得しなきゃいけなかったんです。

ーー今もホームアリーナとなっている大田区総合体育館ですね。

山野:はい。東京には他にもチームがたくさんあるので、ライバルは多かったです。その中で「金がなければ知恵を出せ」であらゆる戦略をたてました。そして最後の決め手が「区民のみなさまの声」です。

ーー大田区民の声ですか?

山野:そうです。地域の皆様の声をひたすら集めたんです。例えば商店街会長さんとかそういった方のところに足繁く通って情熱を伝えました。「こういう思いで!大田区を、スポーツを変えるんです!バスケットで世界に行くんです!山野と申します!」って。最初は「バスケ?」って思ってた方にも、だんだん思いが伝わって。その皆さんの声が行政に届くんです。「アースフレンズ東京Zに大田区総合体育館を使わせてあげよう」って。これが地域の力ですよね。そして7月半ばに大田区から「アースフレンズ東京Zさんの力で大田区を盛り上げてください!」って言ってもらえました。

ーードラマチックな展開・・・!

山野:タイムリミットの2週間前にアリーナが決まって、そこから審査が始まり7月の終わりにB2参入が決まりした。ここがうちの第一創業のハイライトシーンです。あの時、アリーナを獲得出来ていなかったら、今うちのチームはないと思います。後はBリーグの波に乗っかっていった感じですね。最初はB2全18チーム中、入場者数も売上も18位だったんです。Bリーグの中で一番歴史も浅いし、個人オーナーだし。でもそこから4年間がつがつ動き回って、入場者数が8位、売上が9位。配分金順位に至っては3位ですよ。スタッフの頑張りももちろんだし、あとはアリーナの時のように、多くの人に助けてもらえたから今がありますね。


▶▶▶強い情熱と知恵で、数々のチャンスをものにしてきた「アースフレンズ東京Z」。後半では、2021年6月に迎える第二創業期、そこにかける熱い思いを伺います!




【PROFILE】

山野 勝行(やまの かつゆき)

1975年生まれ、神奈川県横浜市出身。高校時代はハンドボール部。球技大好き。大学卒業後の1999年(現)三菱UFJモルガンスタンレー証券株式会社入社。その後、不動産インフォメディア株式会社、三井不動産リアルティ株式会社などで勤務。2012年に一般社団法人スポーツコミュニティジャパンを設立し代表理事に就任。2013年、株式会社GWCを設立し、現在も「アースフレンズ東京Z」の運営を行う。


▼アースフレンズ東京Zの求人はコチラ▼


バスケットボールのピックアップ求人





バスケットボールのピックアップ記事




▶▶バスケットボールの記事一覧をみる

▶▶バスケットボールの求人をみる



最新の取材記事


スポジョバ公式ライン



(PR)スポーツ求人の掲載ならスポジョバ!期間無制限で掲載費無料!



設立年月 2013年11月
代表者 -
従業員数 -
業務内容

1.プロバスケットボールチームの運営
2.バスケットボールスクールおよびバスケットボールの普及活動
3.チームのオリジナルグッズの製作・販売

友達追加するとあなたに合ったスポーツ業界情報をおしらせできます

友達追加する!

スポーツ業界の求⼈を探す


X
X
スポーツ業界の求⼈を探す

X

X

スポジョバについてもっと知る気軽にスポーツ業界の情報を知る

スポジョバ 公式SNS

フォローすればスポーツ業界の情報感度が上がる!

気になる
求人

ご意⾒をお聞かせください

返信が必要な場合はお問い合わせフォームからご連絡ください