前回、スポジョバがお話を伺ったのは、国内で唯一無二の、障害者専門のスポーツ指導のプロ集団「NPO法人アダプティブワールド」の理事長を務める齊藤直さん(41歳)。
パラリンピックが注目を浴びる一方で、未だ本当の意味で障害者スポーツの裾野は広がっていないと齊藤さんは話します。20年以上、障害者スポーツ指導に携わってきた齊藤さんが感じた現場のリアルと、目指す「アダプティブワールド」その思いに迫ったインタビューを本編ではお届けしました。
今回は、齊藤さんがアメリカ留学で感じた日米の障害者スポーツ指導のギャップ、そこから「アダプティブワールド」立ち上げに至るまでの道のりを辿ります。
(取材・構成=荻野仁美)
ーー齊藤さんがライフワークともいえる障害者スポーツ指導に興味を持たれたきっかけから教えてください。
齊藤:はい。大学3年時のゼミ選びで、話が面白い授業をする教授に惹かれて、その先生のゼミを選んだら、それがたまたま障害者スポーツ研究ゼミだったんです。当時はあまりよくわかっていなかったのですが、まぁいっかという感じで選んだので、最初は本当にたまたまでした。そのゼミでスタッフとして、国内の様々な障害者スポーツ大会の予選にボランティアに行ったんですが、それがもうことごとくつまらなくて…!
ーーええ!何がそんなにつまらなかったのでしょう?
齊藤:全国障害者スポーツ大会の予選が各都道府県で行われるそのお手伝いなのですが、そこで僕の係が駐車場係。障害者も見なければ、スポーツも見ない。こういう事やりたいんじゃないなーって思いました。更に2人1組なんですけど、当時20歳の僕のパートナーが引退したおじいちゃん。抜群に話も弾まなくて…(笑)
ーーそれは本筋のボランティアからかなり離れた内容ですね…。当時は障害者スポーツの現場は年配の方が多かったのでしょうか。
齊藤:そうですね。ボランティアとして活動してくださっているのは年配の方が多いです。でも、障害のある子のスポーツって若いお兄さん、お姉さんが指導してくれる事によって引っ張られていくんです。そうゆう意味では特に若い学生さん達は、うってつけなんですが、学生さんには実際に障害児にスポーツ指導をするという実務にあたる現場がなかなかなくて、それは実は今もあまり変わっていないのが現状です。
ーーそんな日本での障害者スポーツ指導に疑問を持つ中で、大学4年時には障害者スポーツを学ぶ為アメリカへ留学されました。
齊藤:はい。僕がクラブチームでスキーをやっているのを知っていた大学の恩師から「アメリカのコロラド州にある全米障害者スポーツセンターってところへ行くと、障害のある人にスキーを教える資格をとれるんだけど興味ある?」って言われて、秒速で「あります!」って返事しました!
ーーアメリカでは一番どんな事を感じましたか。
齊藤:日本では、障害者スポーツに携わる人って黒子なんだよって教わったんです。障害者がちゃんと日を浴びるように、指導者たちはスポーツ出来るんだから黒子になって支えるんだよって言われたんです。僕はその考えに、とても違和感を感じていたのですが、アメリカに行った時に、この人が生徒なのかな?って思うくらいはしゃいでスキー滑っているのがボランティアで、その後ろをちょろちょろついて行ってるのが障害者だったんです。
ーーそれは真逆の環境!
齊藤:でも結果、障害者もそのご家族もボランティアもすごく楽しそうなのがアメリカで、指導側がやってあげてる感満載で、ご家族も現状に不満があって、でも無料でしてもらってるから仕方ないかという感想を持ってしまっているのが日本だったんです。
ーー「楽しませてあげよう」と思う前に、指導側も楽しまないと相手に伝わってしまうものですよね。留学から帰ってきて、齊藤さんは就職されたんですよね。
齊藤:障害者スポーツセンターに就職しました。そこで、再びアメリカに留学した時と180℃違う衝撃があって。僕らの仕事ってプールの監視員と、卓球室の順番整理と、相手してくれって言われた時のキャッチボールの相手と、トレーニングマシーンの使い方の説明だったんです。なのに名前は障害者スポーツ指導員なんです。アメリカではボランティアさんが徹底的にトレーニング受けて指導してて、日本では給与をもらって働いている指導員がプールの監視員をする。スポーツの指導をしない。指導を出来る人も増えない。そんなギャップを受けて、アメリカで経験したことを日本でやりたいなぁと思ってアダプティブワールドを立ち上げました。
ーー障害者スポーツセンターで働く傍ら、2002年に仲間たちとアダプティブワールドを立ち上げた齊藤さん。最初は任意団体からスタートして2005年にNPO法人化しました。
齊藤:僕がアメリカに留学している時に、知り合いに「ちょっと手伝って」と言われてゴルフコンペに呼ばれた事があるんです。僕たちの係はコースの途中でクーラーボックスからカクテルを渡してチップをもらうって仕事。それを1日やって、本部に戻ったらオークションをやっている。よくわからないまま、お手伝いをしていたんですけど「一体、今日は何のイベントなの?」と聞いたら、「今日はここのゴルフ場がプレー代をとらずにコースを解放している。参加者は普段より安いお金でコースに参加して、そのプレー代とオークションの売上の全てが、とあるNPO法人に寄付されて、そのお金でそのNPO法人は1年中かけて全米を周って、障害のある子達にスポーツを教えるんだよ。」って教わって。それがNPO法人との出会いでした。みんなからお金を集めて、みんなの為に使うっていう会社があるんだと初めて知って。帰国して、そういう会社を探してみたけれどなかったので自分で作る事にしました。
ーーNPO法人との出会いから、日本で唯一無二の「障害者専門のスポーツ指導のプロ集団」を始めますが、最初の壁はどんな事だったのでしょうか?
齊藤:僕はアメリカのNPO法人しか見ていなかったので寄付してくれる、応援してくれる人はNPO法人に付随してくるものだと何も考えずに立ち上げたんです。アメリカでは何かイベントするって言ったら、企業が何ガロンか水くれたり、中古のコンピューターを寄付してくれて「イベントが終わったらレポートちょうだいね。またそこから考えるね。」という感じなのですが、日本では例えば中古のコンピューターを寄付してもらおうと思ったら、分厚い申請書書いて、実際にそのコンピューターが届くのが早くて次の4月…みたいな(笑)NPO法人というものをアメリカからコピー&ペーストの様に持ってきたけど、まだ日本にはそれを支える風土はないんだなっていうのを作ってみて痛感しました。
ーー最初から今の個別指導教室のような内容だったのですか?
齊藤:いえ、最初はアメリカを倣って、手でこぐ自転車とかロッククライミングとかアウトドアスポーツの教室をやっていたのですが、親御さんから「うちの子、学校体育に遅れがあるんです。」とか「不器用でうまく身体を使えないんだけど…」という様なお声を頂戴するようになって。確かに学校体育の延長みたいな個別指導教室って、健常児向けはあっても障害児向けはないなと思い、じゃあやってみようという事で、知っている生徒さんに向けてスタートしたのがきっかけですね。
ーー生徒さんの声からスタートした「アダプティブワールド」の個別指導教室。現在は、大人気のクラスになっているんだとか…!インタビュー本編では、気になる教室の内容、また20年以上、現場で障害者スポーツ指導をしてきた齊藤さんが感じた現場のリアル、目指す「アダプティブワールド」その思いも伺いました。
【PROFILE】
齊藤直(さいとう・なお)
1979年生まれ。東京都練馬区出身。日本体育大学卒業。大学時代、アメリカに留学して障害者スポーツを学び、帰国後の2002年に「アダプティブワールド」を仲間たちと立ち上げる。3年間の任意団体活動を経て、2005年にNPO法人化。現在は、特別支援学校での指導法指導や、講演・講義活動も精力的に行っている。趣味は釣り。好きすぎて船舶免許も取得。今までの釣果で一番の大物は、87cmのブリ。
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