「あの時の自分は、本当に大きな決断をしたなと思います」
誰もが知るリクルートという安定した環境から、クラブのフロントスタッフという未知のフィールドへ飛び込んだあの日。数年が経ち、FC東京の営業として走り続けている今、挑戦の原点を振り返ることがあります。きっかけは、先にリーグクラブへ転職していたリクルートの先輩の一言でした。「今日から求人が出てるよ」。その一言が、僕の人生の方向を大きく変えました
(取材・執筆:伊藤 知裕、編集:中田 初葵)
この業界は、間違いなく夢と情熱で動いています。スタジアムを埋め尽くすファン・サポーターの熱気、勝利の瞬間の興奮、そして地域と一体になる喜び。それは、何物にも代えがたいやりがいです。「仕事がすごく好きなんですよ。ずっとやりたいんです」。心からそう思える仕事に出会えたことは、僕の財産です。
しかしその一方で、僕たちは常に膨大な業務を抱えています。平日は多くのクライアント対応をし、資料作成に追われ、週末はホームゲームでファン・サポーターの皆様やパートナーの皆様をお迎えする。そんな日々の中で、結婚や出産といったライフイベントとどう向き合うか。多くの仲間が、僕と同じように頭を悩ませているはずです。

僕自身、まもなく二人目の子どもが生まれます。そして、2ヶ月の育児休業(以下、育休)を取得することを決めました。明確なキャリアプランがあります。そのためには、ここからの数年が最も重要な時期です。そんなタイミングで数ヶ月の”空白”を作ることは、果たして正しい選択なのか。考えれば考えるほど、不安でもありました。
少し前まで、僕にとって育児はキャリアの”障害”になりかねないものだと感じていました。情熱を注ぎ、人生を懸けている仕事。その歩みを止めてしまうかもしれない、と。
「一人目の時って、取りたくても取れなかったんですよ」。
転職して半年以内だったため、制度上、育休が付与されなかったのです。でも、本当の理由はそれだけではなかった。当時の僕は、「育児への関心が、あんまりなかったから」。仕事が忙しいのだから仕方ないと、どこかで自分を正当化し、育児のほとんどを妻に任せきりにしていました。その罰が当たったのかもしれません。
一人目が生まれて3ヶ月が経った頃。その日もいつも通りに帰宅すると、家の中は真っ暗でした。ただ一つ違ったのは、静寂ではなく、微かな声が聞こえたこと。ドアを開けると、暗闇の中で妻が子どもを抱きしめて、静かに泣いていたのです。

その光景を見た瞬間、頭を殴られたような衝撃を受けました。
「あ、やばいな」。
言葉にならない、直感的な危機感でした。僕が仕事に没頭し、達成感に浸っている間、妻はたった一人で、暗闇の中で孤独と戦っていた。その現実を突きつけられ、自分の無力さと無関心さを心の底から恥じました。どれだけ仕事で大きな契約を勝ち取っても、一番近くにいる家族を笑顔にできないのなら、充実している人生とは言えない。そう痛感させられた瞬間でした。
その日から、僕の意識は大きく変わりました。キャリアと育児は、決して二者択一ではない。どちらかを選び、どちらかを諦めるのではなく、両方を大切にする方法があるはずだ、と。
そして今回、二人目の子どもを授かったタイミングで、僕は育休の取得を決意しました。今回の育休は、単なる”育児のための休暇”ではありません。それは、僕がこの業界で生き抜き、父親として、ビジネスパーソンとして成長するための、キャリアと人生を”デザイン”する機会なのです。
この育休期間に、まず自分の働き方を根本から見直したい。完全に仕事から離れることで、これまで見過ごしてきた業務の非効率な部分や、自分一人で抱え込みすぎていたタスクが浮き彫りになるはずです。全業務を洗い出し、上司と相談しながら誰に何を託し、何を仕組み化するのか。この期間を、守りの”休暇”ではなく、攻めの”戦略的準備期間”にしたいと思っています。

そして、その決断の裏には、もう一つの転機がありました。プレイヤーとして大きな成果を出す一方で、チームを率いることの難しさにも直面し、自身のキャリアを次のステージに進めるためには、一度立ち止まって働き方そのものを見つめ直す必要がある、と感じていたのです。だからこそ、今回の育休は単なる”育児のための休暇”ではありません。それは、僕がこの業界で生き抜き、父親として、そして一人のビジネスパーソンとして成長するための、キャリアと人生を”デザイン”する機会なのです。
先日、ある強豪クラブに勤める業界の先輩と話す機会がありました。彼とはもう10年以上の付き合いで、兄のような存在です。先に育休を取得した彼の言葉は、僕の背中を強く押してくれました。
「やめるか、育休を取るか」。伝統ある組織の中で、彼は自身の居場所を懸けて休みを勝ち取りました。「3ヶ月前の業務が、そのまま戻ってきただけだったよ」という彼の言葉には、正直ホッとしましたが、同時に彼が最後に伝えてくれた「育休明けは、想像以上にしんどいぞ」というリアルなエールも覚悟しています。
僕が目指すのは、この業界の”当たり前”を変えること。誤解してほしくないのは、それは「全ての男性が育休を取るべきだ」ということではない、ということです。僕が作りたいのは、育休を取るという選択肢が、キャリアを諦めることと同義にならない環境です。各々の家庭の事情や価値観、キャリアプランに基づき、”取る””取らない”を誰もが気兼ねなく選べる。その状態こそが、真に成熟した職場だと思うのです。

そして、僕がこうして前例のない挑戦に踏み出せるのも、所属するFC東京というクラブの理解があってこそです。僕が「育休を戦略的に活用し、復帰後にさらに組織へ貢献したい」という想いを伝えた時、上司はその挑戦を快く受け入れ、背中を押してくれました。この記事の発信を含め、個人のキャリアデザインを尊重してくれるクラブに、心から感謝しています。
この挑戦が、後に続く後輩たちが、キャリアを諦めることなく、育休を取るという選択肢を持てる、そんな未来への道標になるはずです。この業界が、ただの”ドリームジョブ”で終わるのではなく、誰もが長く働き続けられる”サステナブルな職場”になるために。この育休期間を、そのための力強い第一歩としてデザインしてみせます。
今回の取材は、私にとって特別な意味を持つものだった。FC東京の日笠正昭氏、そして今回、所属と氏名を伏せることを条件に話をしてくれたリーグの伝統あるクラブに籍を置く先輩。彼らと私は、かれこれ10年以上の付き合いになる。スポーツ業界に入る前から、互いのキャリアを語り合ってきた仲間だ。対話を終えて、私の胸に深く刻まれたのは、彼らの挑戦が決して「全ての男性が育休を取るべきだ」という社会へのメッセージや、組織への問題提起に留まるものではないということだ。これはむしろ、組織に依存せず、自らの手でキャリアを切り拓こうとする、一人のビジネスパーソンの極めてリアルな「生存戦略」なのだと気づかされた。
育休の議論は、ともすれば「個々の選択を尊重する、理解ある組織であるべきだ」という、組織やマネージャーへの要求に行き着きがちだ。しかし、彼らの話の本質はそこにはない。彼らは、組織が変わるのをただ待っているのではない。組織を自らのキャリアを最大化するための「プラットフォーム」として捉え、その上でいかに主体的に立ち振る舞うかを考えている。
大切なのは、育休を「取る」「取らない」を各々が自由に選択できる環境であることは言うまでもない。だが、その環境は誰かが与えてくれるものではない。日笠氏が自身の育休を「デザイン」と呼ぶように、それは組織の一員である我々一人ひとりが、自らのキャリアと組織の成長を重ね合わせ、主体的に作り上げていくものなのだ。
もちろん、この“個の戦略”は、決して一人で完結するものではない。その裏には、彼の不在を支えるチームメイトの存在が不可欠だ。彼の挑戦を真に組織の力に変えるためには、休む本人のデザイン力だけでなく、残されたメンバーの負担をケアし、その貢献を正当に評価する組織の成熟度が同時に問われることになるだろう。
そして今回の日笠氏の挑戦において、その「組織の成熟度」の一端が、彼の所属するFC東京の経営判断に現れていたことは特筆すべきだろう。個人のキャリアデザインに真摯に耳を傾け、この発信を承認した後押しがあった。個人の主体的なアクションと、それを受け止め、組織の力に変えようとする経営の度量。その両輪が揃って初めて、改革の物語は力強く前進する。

結局のところ、育休がキャリアを閉ざす「障害」になるか、飛躍の「機会」となるか。
その答えは、組織の制度や上司の理解度に依存するのではない。もちろん、それらが整っているに越したことはない。しかし、本質はそこではない。
それは、変化の時代を生きる我々一人ひとりが、自らのキャリアといかに向き合い、組織というプラットフォームをどう使いこなし、主体的に未来をデザインしていくか。その“個の戦略”にこそ、かかっているのではないだろうか。
そして、最も重要なのは、その“個の戦略”から得られた知見を、個人の成功体験だけで終わらせないという意志だ。日笠氏が放った「事例がないなら、自分で作って発信すればいい」という言葉は、私たち全員が胸に刻むべきスタンスだろう。組織や社会が変わるのを待つのではない。自らの手で前例を作り、その経験を共有することで、業界全体の未来をデザインしていくのだ。
そして、男性である我々が育休を語ること自体が、まだ“特別”な意味を持ってしまう現状があることも、私たちは自覚しなければならない。これまで多くの女性たちが、キャリアの中断を余儀なくされながら、その大変さを声高に語ることなく育児と向き合ってきた歴史がある。だからこそ、我々男性の育休取得は、単なる個人の権利行使に留まらず、男女問わず誰もがキャリアとライフイベントを両立できる、真に公平な職場環境を整備していくための“責任”を伴うのだ。

もちろん、リーグの全クラブが、あるいは他のプロスポーツ組織が、すぐに同じことができるわけではないだろう。事業規模や人員体制には、依然として大きな隔たりがある。しかし、だからこそ、FC東京のように体力のある組織が率先して前例を作ることの価値は計り知れない。できる組織からやらなければ、業界全体の”未来”は”未来のまま”だ。
スポーツ業界は今、大きな転換期を迎えている。憧れの「ドリームジョブ」であり続けるためには、誰もが安心して働き、キャリアを築ける「サステナブルな職場」へと進化しなければならない。日笠氏や、今回語ってくれた先輩のような先駆者たちの挑戦を、決して単なる美談で終わらせてはならない。彼らの成功も失敗も含めたリアルな経験知を、各競技の垣根を越えて共有し、業界全体のナレッジとして蓄積していく。その先にこそ、スポーツ業界の持続可能な未来が”現実”のものになるはずだ。
彼らの挑戦は、その静かで、しかし力強い問いを、スポーツ業界で働く我々すべてに投げかけている。

【PROFILE】
日笠 正昭(ひかさ まさあき)
1988年 香川県生まれ
リクルート入社から営業一筋。マイブームはスポーツ観戦。最近は長男を連れてスタジアムに行くのがとても楽しみ。