「激動のオフシーズンだった」と言っても過言ではないだろう。経営体制の変更、REBRANDINGの発表、グッズやHPの刷新、新加入選手・スタッフとの連携、それに伴うメディア対応……etc。B.LEAGUE2020-21シーズンチャンピオンだからこそ、多くのブースターやメディアから注目を浴び続けている『千葉ジェッツ』。
「もっと多くの人が求めていることを知り、実践していきたい」と口を揃えて語るのは「イケメン広報」とファンの間では大人気の三浦一世氏を中心とした広報チームのお三方。今回は、どんな変化があっても変わらない、彼ら・彼女らのアツい気持ちやこれまでの経緯、そして「これから」について、2時間超えのロングインタビューを実施!『千葉ジェッツシリーズ』として5本立てでお送りします。Vol.2では、千葉ジェッツ公式マスコットキャラクター『ジャンボくん』やSTAR JETS(チア)のマネージャーも務められる、芳賀さんを直撃!サッカー少年だった芳賀さんがジェッツを選んだ理由とは?叶えたい夢とは??
(取材:構成=スポジョバ編集部 小林亘)
__三浦さんのアツい想いを聞いたあとに、さらにアツい男と噂の芳賀さん。ハードルを上げるつもりはないんですけれど(笑)。芳賀さんも三浦さん同様、千葉ジェッツをご存知でなかったとも伺っていますし、そもそもバスケはされていなかったタイプとも伺ってまして……
芳賀:そうです、サッカー少年でした。なので(千葉ジェッツの)ファンでもなかったです(笑)
__これは根掘り葉掘り聞いていきたいですね(笑)。芳賀さんは芸能事務所や洋菓子ブランドなど、結構ユニークなご経歴とも伺っています。
芳賀:そうですね。私、もともとはトレーナーになりたくて、東京スポーツレクリエーションっていう専門学校に通っていたんですよ。
三浦:その話、初めて聞いたな(笑)
芳賀:あ、本当ですか?
清野:私も初めて知りました!
芳賀:そっか、言ってなかったっけ(笑)。それで、卒業後はスポーツクラブに就職したものの、アルバイト時と大きく状況が変わり、長くは続かず。辞めてからは「芸能界の仕事とか面白そうだな」というミーハー心で『研音』という芸能事務所でマネージャーをやるようになりました。それから約10年経って、30歳を目前にして「1人のビジネスマンとしてもっと成長したい」って思ったんです。人を楽しませるエンタメ精神や細かい気遣い、空気を読むことなどを学んで人としても大きく成長できましたし、仕事で海外に行かせてもらったりもして、普通では味わえない経験がたくさんありました。恵まれすぎた環境だったからこそ、仕事として直接自分のやりがいを感じることが、多くはなかったんですよね。
__30歳って、1つの区切りですよね。自分を見つめなおす1つのキッカケかなと私も共感します。私も30歳でスポジョバに入ったので(笑)
芳賀:そうでしたか!共感いただけて嬉しいです。それで芸能でやってきた経験を、スポーツの仕事に活かせないかなと思い、サッカーや野球チームに入りたくて転職活動をしていたのですが、全く縁が無くて(笑)。それで一回スポーツは諦めて「ベンチャーで働いて自分磨きしよう!」と考えました。そこで当時まだ国内に8店舗くらいしかない、今でこそ焼きたてチーズタルトで有名な『BAKE』という会社で広報として働き始めたんです。まさにこれから急成長する時期だったので「この人たちと仕事したら楽しそうだな」って思って。それで2年半くらい働いていたんですけど、たまたまBリーグの試合を友達に誘われて観に行ったんです。それが千葉ジェッツとの出会いでした。スポーツ観戦は好きだったのですが、バスケを観たことがなくて。初めて千葉ジェッツの試合を観たときに「こんな面白いスポーツがあるんだ!」って衝撃を受けたんですよね。
__千葉ジェッツさんはプロジェクションマッピングとか炎とか、結構演出に凝ってますもんね!
芳賀:あのときの衝撃は今も忘れられないですね。で、そのときにたまたま島田さん(現B.LEAGUEチェアマン:以下島田さん)の「社長秘書」の募集が出ているのを発見して、秘書なら芸能マネージャーもやっていたし、できそうだなって思ったんですけど、ただ三浦と一緒で、Bリーグ盛り上がってるけど「仕事として安定するのかな?」と不安な想いもあって(笑)。だから私も同じように島田さんの記事を読み漁ったんです。そしたら「千葉ジェッツの成長を一緒に経験できたら、楽しいかもしれない」「この人の秘書できたら色んな事を学べる」って思えて、応募したのが最初です。『BAKE』のときもそうだったんですけど「この人と働きたい」と思って入った会社ってすごく楽しかったんですね。島田さんの記事を見て、それと同じ感覚になったので転職しました。だから最初1年間は秘書だったんですよ。
__それは凄い。島田さんの秘書って、具体的にどんな活動をされていたんですか?
芳賀:私が入った1年後に、島田さんが千葉ジェッツの会長になられたので、1年間だけ秘書をさせていただいたんですが、その1年はとても大きかったです。島田さんが講演で各地へ行って、色々話をされていたんですけど、年間約50講演一緒に行ってたので、島田さんが話すことをほぼ覚えているんですよね(笑)。それこそ千葉ジェッツの成り立ちから、これまでの経緯とか。だから千葉ジェッツの前半の部分を話してって言われたら、(島田さんと)同じくらい話せると思います。もちろん僕は千葉ジェッツにその当時はいなかったので知らない部分も沢山あるんですけれど(笑)。
__それだけお話を聞いていたら、芳賀さんの千葉ジェッツ愛も納得と言いますか(笑)。ちなみに秘書業務を通じて学んだ部分なども教えていただきたいです。
芳賀:それこそスポーツビジネスは、こういう考えや想いのもとで経営をしていくことやビジネスマンとしての心得など、沢山学ばせていただきました。それだけに、これまで「地域愛着」を掲げる市民球団として10年活動をしてきて、現在変革期を迎えてはいますが、今まで大切にしてきたものが全て消えるわけではないですし、これからも千葉ジェッツのスタイルは変えたくないと思っています。だからこそ、オッチーも以前話してくれましたけれど、色んな人が積み重ねてきてくれた千葉ジェッツの良い部分を継続しつつ、進化していき、千葉ジェッツを取り巻く全ての人たちに共感される未来にしていきたいという気持ちですね。ジェッツは千葉の人たちの強い想いから誕生したチームなので。
__まさにそれが今回のコンセプトにもある『PAINT IT JETS』にもつながると考えて間違いないですか?
芳賀:そうですね!ちなみに僕、埼玉県出身で浦和レッズファンなんです。それで、浦和レッズみたいな、地域からも愛され、物心ついた頃から近くにレッズがあって、自然とレッズが好きになり、応援して、大人になってもファンで居続ける……。これって物凄いことだなって思うんですよね。気づいたら浦和レッズが自分の生活の一部にあるといいますか。まさにこの状態を、船橋で、千葉ジェッツで、文化として作りたいって思っているんです。そのためには『PAINT IT JETS』という言葉を唱えるだけでは絶対にダメなので、地域やブースターの方々に僕たちの想いを共感してもらえるよう、日々全力で活動したいと考えています。
__その強い気持ちが、芳賀さんの原動力というわけですね。千葉ジェッツでご自身が味わった感動を、多くの人に広めたいし、その文化や想いに共感される未来を作りたいと。
芳賀:島田さんが会長になられる前に「どうする?」「やりたい仕事があれば教えてほしい」とお声をいただいて。そのタイミングで島田さんに「僕はジェッツをさらに地域から愛されるチームにしたいから、フロントスタッフとして貢献していきたいです。もっと千葉ジェッツを広めたいです!」ってお話をして、地域振興チームに異動させていただきました。
__オッチーの想いも知っているからこそですが、芳賀さんの強い気持ちに感動しています。地域振興チームでは、具体的にどんな活動をされていましたか?
芳賀:地域の方々が、バスケットやジェッツに触れられる環境や機会を増やしたいという想いを非常に強く持っていて、業務としては、選手、ジャンボくん(千葉ジェッツ公式マスコットキャラクター)、STAR JETS(チア)、マスク・ド・オッチーたちとイベントを実施したり、あと『ジェッツアシスト』っていう社会貢献活動を中心に担当していました。それこそ千葉県内の学校や施設をオッチーとかジャンボくんと回ったり、STAR JETSと社会貢献活動をしたり……と、地域の方々が自然と千葉ジェッツと触れ合える場所を創り続けようと頑張っていました。
__なるほど。今シーズンからは広報チームにジョインしたとも伺っていますが、その辺りについても伺えますか?
芳賀:ジャンボくんとSTAR JETSのマネージャーは継続しつつ、今シーズンから広報チームに入ったんですけど、コロナ禍になって以前よりブースターさんとも直接コミュニケーションが取りにくくなってしまっているんです。それこそ三浦がかなり密にSNS等でコミュニケーションは取ってきたものの、私としては今以上にファンを増やしていくことと、もっと千葉ジェッツを好きになってもらいたいって想いを実現するために広報チームに入ることになりました。なので、選手だけではなく、チームやフロントスタッフたちがどんな思いで働いているかっていうところの発信を、今後は増やしていきたい気持ちです。
__三浦さんにもお伺いしたんですけれど、改めて去年を振り返って、芳賀さんにとってはどんな1年でしたか?何か思い出深いエピソードがあれば、ぜひ。
芳賀:コロナ禍で地域のミニバスや学校の大会が軒並み中止になったりして「学生たちが、バスケをしたいけどできない」という状況のときに、サテライトオフィスさん(オフィシャルパートナー)が「子どもたちに元気や希望を与えたいから、ボールとビブスを千葉ジェッツを通してプレゼントしたい」って言ってくださり、マスク・ド・オッチーと一緒に船橋市内の約70のミニバスチームをボールとビブスを持って2人で回ったんですよね。その時の子どもたちの反応には、とても感動しました。あんなに喜んでくれるとは思ってなかったので、あの光景を見たときにこの仕事やってて本当によかったなと思いました。だって、プロ選手じゃなくてオッチーですよ(笑)。だけど「オッチーが来てくれた!!」ってすごく喜んでくれて。こういう地道な活動をコツコツやっていくことで、きっと彼らの思い出になって、大人になっても「ジェッツ応援しよう」ってなるんだろうなと私も肌で感じることができたんです。
__胸がアツくなります。。。
芳賀:あと、1校だけ原修太選手(#31)にも彼の母校(船橋市立高根台中学校)に来てもらったんですけれど。多忙な時期にも関わらず、お願いをしたら「全然行きますよ!協力しますよ」って二つ返事で引き受けてくださって。加えて社会貢献活動にとても積極的に協力してもらってます。彼自身、病気(潰瘍性大腸炎)になった経験から、長期療養している子どもたちに対して、オンラインミーティングを月に1回やらせてもらったりとか。あとは大宮宏正選手(#8)が「養護施設に訪問したい」と言ってくれたりとか。そういう風に選手たちから自発的に言ってくださることが多い1年だったなと振り返って思います。
__それは嬉しいし最高の形だと思います!コロナっていう状況が良い方向に働いたわけですね。
芳賀:今までの選手たちも協力はしてくれていましたが、選手たちの方から「コロナ禍だからこそ、何か自分たちにできないことはないか」って私に声をかけてくれるようになって、本当に嬉しかったんですね。原選手も大宮選手もそうですけど、やはりイベントとかをやると、そこに居る人たちが物凄く笑顔になってくれる。この瞬間は、何回見ても感動するし「やっててよかった」と実感するので、今年も積極的に、色んな活動をしていきたいと思っています。
__加えて「優勝」っていう最高のエッセンスもあって、芳賀さんにとってはきっと忘れられない1年だったと想像します。
芳賀:そうですね、その部分も含めて、やっぱり最高のシーズンでした。私も2回、ファイナルで敗れたときに、横アリの出口でブースターさんを見送ってた中、「また絶対に戻って来ようね」と涙ながらに声をかけていただいた経験もしていたので。それを昨シーズン、同じ横アリの出口で「よかったね!」「やったね!」ってみんなで笑顔になれたのは、かけがえのない思い出です。だからこそ、今年も来年もそれ以降も、ブースターさんのために、どうしたらもっと良くなるか、喜んでいただけるかっていうのを追求していきたいです。それにやっぱり、優勝のあの感動を、また一緒に味わいたいですから。
>>>次回、前半戦終了!個人に焦点を当てたお話でトリを飾るのは『新㌥』の清野さん!
【PROFILE】
芳賀 宏輔 (はが ひろすけ)|敏腕マネージャー
埼玉県出身で根っからの浦和レッズファン。自身も幼少期はサッカーをプレイしていた。東京スポーツレクリエーション専門学校卒で、トレーナーを目指していたとのこと。卒業後は芸能とスポーツが好きという気持ちから、大手芸能プロダクション『研音』でマネージャーとして従事。ただ、30歳を目前にしたタイミングでよりビジネスマンとしてステップUPしたいと思い、当時はベンチャーではあったが、今でこそチーズタルトで有名な『BAKE』の広報に転身。そのときに友達と観に行った千葉ジェッツの試合に衝撃を受け、当時千葉ジェッツで社長をしていた島田さんの秘書の募集を見て応募した。
「昔はマネージャーとしての使命感のもと月に12本は映画を見ていた」とも語るほどの映画好き。オススメは洋画だと『The Greatest Showman』。邦画だと自身も携わった『図書館戦争』。
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▼vol.1の三浦さんの記事はコチラ
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