「僕の栄光時代は、きっと今なんだ」宇都宮ブレックスのチームマネジャーが積み上げてきたキャリア【前編】

宇都宮ブレックス(B.LEAGUE) チームマネジャー:武田 有人

「僕の栄光時代は、きっと今なんだ」宇都宮ブレックスのチームマネジャーが積み上げてきたキャリア【前編】

宇都宮ブレックス(B.LEAGUE) チームマネジャー:武田 有人

「転職が当たり前」。そう言われている現代でも、当然ながら一社目から自分のやりたいことを実現でき、かつそれを評価してくれる会社に就職できれば、そもそも転職という選択を取ることはきっとないだろう。まして私含め"正社員"として働く人間からすると、自分が続けるか辞めるかの意思を表示することでキャリアを積み重ねていけること自体、幸せなことかもしれない。

スポーツ業界ではチームスタッフも"年俸"として雇用契約を結ぶケースがある。裏を返せば、1年以内に活躍しないと来年契約更新に至る可能性が100%とは言えないということ。当然、さまざまなクラブや業界を経験したりすることで見える世界もあれば、1つのチームにいるからこそできる経験もあるため、どちらが良い・悪いの話ではない。選手と同様に、なかなかシビアな契約がある中でも、2016年の入団以来ずっと1つのチームでマネージャーとして活躍をし続けるのが、2021-22シーズン優勝クラブ:B.LEAGUE『宇都宮ブレックス』のチームマネジャー・武田有人(たけだ ゆうと)氏。

今回は「チームで必要とされ続けるために大切なこと」というテーマで、彼のキャリアを紐解きながら前後編の2本立てで記事にしていく。これは、正社員として働くあなたにも、きっと個人の市場価値を高めるためのヒントになる物語だ。


※注釈) 宇都宮ブレックスでの役職名を『マネジャー』と表記/ 一般的な役職は『マネージャー』と表記

(取材:構成=スポジョバ編集部 小林亘)


大怪我で未来を失った僕に見えた、僅かな光

__拓殖大学バスケ部に所属していた武田さんがケガを機に2年生でマネージャーへ転身。この転機やマネージャーというキャリアを歩み始めたキッカケから教えていただけますか?





武田:そうですね。正直高校卒業前くらいから怪しかったのですが、大学入学直後の練習で半月板を損傷してしまいました。膝の痛みが爆発して、とにかく痛くて。そこから手術・リハビリという形で過ごしました。数か月後に復帰して練習に参加したのですが、僕はバスケットの実力があるわけではなかったので、体力的にも技術的にも全くついていけませんでした。

1年生のときはプレイヤーとしてなんとか喰らいついていたものの、正直結構しんどくなってしまって。そんなときに、2つ上の先輩でマネージャーをしていた新岡潤さん(現:俳優・モデル/元アルバルク東京MG)に「マネージャーをやってみないか?」と誘っていただいたのがキッカケです。僕は入学していきなりケガした選手、しかもバスケットの実力がないにも関わらず復帰を待ってくれて、1年間プレーさせてくれた拓大バスケ部に対して、自分ができることで何か恩返しをしたいという気持ちがすごく強かった。だから、マネージャーとしてチームに貢献することが一番なのでは?と判断して、2年生のときに転身したという経緯になりますね。


__新岡さんの言葉が1つ転機になったわけですね。そのあと大学時代は卒業までマネージャーを?





武田:そうです!2、3、4年とマネージャーをやらせてもらいました。一方、僕をマネージャーの世界に誘ってくれた新岡さんが、卒業後に現:アルバルク東京のマネージャーとして働いていて、「一緒にやっていた先輩がプロチームの舞台でも活躍している!じゃあ自分もそこを目指したい!」と思って、卒業の年には拓大の池内監督、出身校の文星芸大附属高校の恩師にも手伝っていただきながらいろいろなチームを探しました。

そのタイミングで、栃木ブレックス(現:宇都宮ブレックス)にも繋いでいただいて、ブレックスの現代表である藤本さんとも話すことができたのですが、マネージャーの募集はありませんでした。「ほかのポジションなら」という話をいただいたものの、僕としては「マネージャーとしてやりたい」という気持ちが強すぎて「中途半端をするのなら一回思い切ってバスケットから離れて一般企業に勤めよう!」と決めて、横浜にある老舗のコーヒー会社(一般企業)に就職しました。ルート営業という役割で、主に渋谷を中心とした原宿、三茶、中目黒等々の首都圏の固定のお客様を回って、コーヒーを配達しながら新商品を提案するようなお仕事でしたね。


__だいぶ思い切った選択を新卒のときにされたのですね。当時のことも振り返っていただけますか?





武田:今も僕はコーヒーが大好きです!就職してコーヒーのことを勉強して、その魅力を知ったからこそ、カフェ巡りが趣味になったのですが、とはいえ当時は「なんで自分はバスケットの道を諦めてしまったのだろう……」という、後悔や葛藤がとても残っていました。ただ入社して3ヶ月も経てば人間は慣れるもので、少しずつ仕事の楽しさや面白さを感じはじめていたと言いますか、サラリーマンとして生きていくっていうことを飲み込み始めた時期ではありました。

そんなタイミングで、栃木ブレックスの藤本さんから突然電話がかかってきました。「何事!?」と思って(笑)、仕事中でしたが電話に出ました。そうしたら「山形でマネージャーを募集しているのだけど、どうかな?就職していることも理解しているから無理にという話ではないのだけど、もしよかったら」とお話しいただいて。もうこんなチャンスは二度とないと思って、二つ返事で「やらせてもらいたいです」と話しをさせていただきました。


__それは震えますね……!めちゃくちゃ嬉しかったんじゃないですか?ちなみに当時ってもしかして、D-RISE(ブレックスの下部組織)のNBDLの権利を山形に譲渡した『山形ワイヴァンズ』誕生の年だったりしますか?





武田:まさにそうです!山形にチームができた年で、権利譲渡の関係もあって藤本さん経由で山形に繋いでいただき、入団することになりました。……本当にもう、あの瞬間の感動は本当に忘れられないですね。そもそも僕という人間を藤本さんが覚えてくださっていたこともありがたかったですし、一気に目の前がパッと明るくなるような、光が差し込んでくるような感覚で、胸がいっぱいになりました。それが2014年8月頃の話です。

山形では僕1人しかマネージャーがいない中でも本当にいろいろな経験ができましたし、プロのマネージャーとして働ける喜びを噛みしめながら仕事ができて幸せでした。そして2シーズン目を終えた2016年の夏頃に、また藤本さんからお電話をいただいて。「来年ブレックスに空きが出るのだけど、武田さんの地元だし、もともと話をしていたから、当社からもオファ―させてもらいたい」と話をいただいて、Bリーグ開幕の2016-17シーズンからブレックスのアシスタントマネジャーとして働くことになりました。もう本当に、藤本さんには頭が上がらないですよ。




練習中、選手にパスを出す武田氏


1年目の優勝と昨シーズンの優勝では大きく違う。自分自身が思うチームへの貢献度

__藤本代表との素敵な繋がりから、念願叶って地元クラブへの入団。マネージャーとしての役割も山形時代と比べて違いがあったのでは





武田:山形では1人でマネージャーをしていましたし、新しいクラブでとにかくゼロからのスタート。とはいえNBDLの権利譲渡と一緒に、運営のノウハウも栃木からは共有があったので、そのベースの上に僕が大学時代に培った経験を交えながらなんとか仕事をしていた状況でした。それこそ備品も手配からしないといけませんし、スケジュールもゼロから作っていたものの、いわゆる"自己流"でこなしていた感覚は大きかったです。今はもう山形も素晴らしいチームに進化されていると思いますが、当時は新チームでしたから「本当はもっとここまでやりたいけど……」という話も正直ありました。

ブレックスに来てからは、トシさん(加藤 敏章:宇都宮ブレックス・通訳兼チームマネジャー・GMアシスタント)という先輩が既にいらっしゃいました。初めて先輩から教わるという状況になったのですが、そもそもリーグトップクラスのチームということで設備から何まで全部違いました。山形時代にはなかった備品があって、それを選手が使いこなしていましたし。洗濯1つとってもクリーニング屋さんがスポンサーさんなので、コインランドリーに行く必要もない。肌感ではわかっていたのですが「ここまで違うのか……!」と衝撃的でしたね。


__当時の山形はチームとして初年度で、その中でトライ&エラーをされた。移籍したブレックスというトップチームとの違いに驚いた、そして体制も変わって戸惑うこともありながら初年度を過ごしていたわけですね?





武田:山形時代は言うなれば"浅く・広く"でしたけど、ブレックスはトシさんと僕の2人体制で設備も充実していることから"深く・狭く"なった感覚でした。やることは減っているはずなのに、突き詰めようと思えばいくらでもできてしまう。力をかける部分が変わりました。

それに加えて、今までTVとか雑誌で見てきた選手が目の前にいるわけですよ。特に田臥さん(田臥勇太選手:宇都宮ブレックス)は、小中学生の頃から見てきた憧れの選手なわけですから、そんな人たちと一緒に仕事するんだっていう緊張感もありましたし、その人たちをサポートしなければいけない責任・重圧もあったので、本当にビクビクしながらやってました(笑)。


__あはは(笑)。でも誰だってそうなると思います(笑)。とにかく必死だったと思いますが、初年度は優勝もしていますよね。





武田:あの優勝は僕にとって初めての「日本一」でした。これまで個人の目標にはしてきたけど到底届かないと思っていた場所。2016-17シーズンはメンバーも勢揃いでしたから、本当にとんでもない船に乗せてもらっちゃったなという感覚で、ひたすら迷惑をかけないように、できることをやる中で、もがいてもがいて過ごしたシーズンの最後に、ものすごい贈り物をもらってしまった。だから正直、日本一になるチームを間近で見させてもらったという感覚で、振り返るとあまり自分事として捉えられていなかったなと思いますね。

ただ、2シーズン目はメンバーも一気に変わった中でのスタートで、途中でHCも竜三さん(安斎竜三:現越谷アルファーズ・アドバイザー)に代わって、それでいて追われる立場で。3シーズン目も天皇杯準優勝で悔しい想いをして4シーズン目はコロナでシーズンが中断。このシーズンはかなりメンバーも揃っていて優勝を狙えるって志気も上がっていたのですが、落胆が大きくて。それで5シーズン目、ファイナルで千葉ジェッツに敗北。初年度以降、ずっとずっと悔しい思いをしてきたからこそ、6シーズン目の2021-22シーズンで優勝できたのは、もう本当に嬉しかったですね。


__すごく今更ですが、改めて2021-22シーズンは優勝おめでとうございます(笑)。初年度との優勝とは、武田さんにとってまた違うものだったと思うのですが、いかがですか?





武田:ありがとうございます(笑)。やっぱり1シーズン目は優勝"させてもらった"という、少し他人事のような感覚はありました。ただ今シーズンに関しては、苦しい時期をずっと経験してきた日本人選手がみんな残ってくれて、その積み重ねの上にアイザック(#42 アイザック・フォトゥ)、チェイス(#20 チェイス・フィーラー:現・佐賀バルーナーズ)、途中で抜けちゃいましたけどジャワト(#3 ブランドン・ジャワト)が入ってくれて、新しいブレックスとして(優勝を)掴み取れたっていう感覚でした。僕も同じように、みんなと一緒に苦しい思いをしてきた分、2021-22シーズンの優勝の感動は本当に格別でした。

これは半分余談ですけど、1シーズン目は「日本一」というものが、自分の中であまりにも価値が大きすぎて、ちょっとシーズンが終わったあとに燃え尽き症候群と言いますか(笑)。もっと優勝の余韻に浸りたかったけど「もう次のシーズン始まっちゃうの!?」というギャップがありました(笑)。でも今シーズンはそれを経験していたので、ハッピーエンドの映画を見終わったのと同じ感覚で「良い映画だったな。感動した。次の映画を見よう」じゃないですけど、切り替えられたのも個人的には成長を実感できた瞬間でしたね。




コート上で勝利を噛みしめる武田氏


全ては恩返し。6年も居させてもらっているブレックスと、栃木県のために

__次のシーズンで7期目。色んな経験をしてきたとはいえ、それができること自体そもそも凄いことだと思いますが、武田さんは毎シーズン契約を勝ち取るためにどんな想いで仕事をしてきたかも教えてください。





武田:仰る通り、契約は1シーズン毎です。だからこそ次の1シーズンを勝ち取るために、今できる最大限のことをしようという緊張感の中で仕事はさせていただいています。でも僕は、何か特別なことができる人間じゃないんです。幼い頃、ミニバスのコーチに「お前はセンスもないし器用じゃないけど、努力で何とかしている」って言われたのをとても覚えていて(笑)。

でも本当に昔から何をしても平均点くらいだったことを自分で理解していたので、特殊能力のない僕の取柄は「一生懸命やること」しかないとも思っていました。その中で、目の前にあることを1つ1つ120%の力で積み重ねてきた、とにかく手を抜かずに、そして天狗にならずに全力でやって自分を表現してきたつもりです。その結果、もう6シーズンやらせてもらって今季で7シーズン目ですけど、認めてもらって使っていただいて感謝しかありませんし、個人的には「もう6シーズンも経っている」という感覚に近いですね。


__武田さんのお話を聞いていると、本当にマネージャーという仕事が好きなんだな~と感じます。





武田:ブレックスは地元のチームですし、幼い頃からずっと見てきたチームで仕事をさせてもらえているということ自体、本当にありがたいと思っています。それに僕は、一度は諦めるしかなかったチームマネージャーという仕事をやらせてもらえているという事実だけでも、本当に幸せで。もちろんつらい瞬間や大変なことってあるんですけど、全然気にならないくらい全てが楽しいです。

毎シーズン、チームと契約をいただけることも含め、あのとき電話をくださった藤本さんを始め、とにかくチームに恩返しできるように仕事をしていかないといけない。プロのチームマネージャーとしての役割を果たさないといけない。もちろん、宇都宮は地元ですから、ここで長く働けるなら自分にとっても良い事ですし、自分を育ててくれた栃木県に対しても、微力かもしれませんが恩返しができるのかなって思っているので、これからも自分にできることは全力でやっていこうという気持ちはあります。


__思いつく限りで構いません。目の前の仕事を全力で積み重ねる中で、この試合のこの時の自分グッジョブ!といったシーンとか、なにかエピソードってありませんか?





武田:グッジョブは……(笑)。いや、敢えて考えないようにしているかもしれないです。それで満足していては、次に進めなくなってしまうような気がしていて、仮にそういった瞬間があったとしても「もっとこうできるんじゃないか?」って考えるようにはしています。

ただ、1シーズン通して自分がやるべきことをちゃんとやり切ることができたな、と思えたなら「よくやった」って自分を褒めるようにはしています。そこに結果が出たり、逆に結果が伴わない場合でも、1年間チームのために動いてやりきった瞬間に、初めてその感情になるのかなって思っています。いずれにしても、1つ1つに満足しないようにしていますね


__すごい謙虚ですよね……尊敬です。ちなみに今の話にも繋がりますが、武田さんが思う限りでマネージャーという仕事におけるやりがいについても、ぜひ教えてください!





武田:やっぱり『優勝』は一番大きいと思います。僕も2度経験させてもらっていますが、そこに行きつくまでのシーズンの中でいろいろなことがありますし、今回の優勝に関しても「日本一ってやっぱりいいな」ってしみじみ思いました。選手たちが頑張って勝ち取ったストーリーの中の一部に自分がなれているということが嬉しい。

もちろん細かいところで言ったらキリがないですが、とにかく選手が気持ちよくプレーしてくれたり、活躍している姿を見られるととても嬉しいです。選手に「ありがとう」って言ってもらえるだけで「やってきてよかったな」と思える。自分のためじゃなくて、選手、チーム、そして会社のために自分が役に立てている、為になっている、力になっているところで嬉しさや幸福感を感じています。やっぱり適当なことをやっていたら絶対感じられないことだとも思いますので、1つ1つを向き合ってこなしていった結果の成果として、感謝の言葉や1つひとつの勝利、優勝といったものが返ってくると、やっぱりやりがいには感じますし、また頑張ろうって気持ちになりますね。とにもかくにも優勝は、本当に最高です!




[左]優勝した瞬間、トロフィーを掲げる武田氏 [右]優勝パレード時のスタッフの方々


『アシスタント』が外れ、2022-23シーズンからは『チームマネジャーに』

__私も当然日本一を経験したことはないので、どんな感じか経験してみたいところですが、また10月から来シーズンが始まります。7期目となる2022-23シーズンへの意気込みもぜひ!





武田:ありがとうございます。今シーズンに関しては一番大きなところで言うと『2連覇』に挑戦できる権利を僕らは持っているので、選手たちはそこを取りに行くためにかなり準備をしています。その手助けができたらいいなと思っています。

それから、今シーズンから東アジアスーパーリーグ(EASL)が入ってきますから、今までのシーズンよりも過酷なスケジュールになると思います。そこに対してもしっかりやっていけるように準備も含めサポートしていって、忙しい中でも選手たちが気持ちよくプレーできるように、できることは一生懸命やっていきたいですね。欲を言えば、今まで一度もタイトルを取ったことがない天皇杯でも取れるように、しっかりサポートしていきます!


__ありがとうございます!……ここからは後編にも続く内容になりますけれど、武田さんのエネルギーが本当に凄いなと思いますが、マネージャーとしてのキャリアを創っていく上で、どんな未来を描いていますか?





武田:正直「チームマネージャーの後、どうするの?」って聞かれても、今はないです。やっぱり僕のキャリアのスタートの時点で、一度チームマネージャーを諦めてしまっている。諦めるしかなかった。それで今やれているのだから、突き詰めてやるしかないでしょって。こんなチャンスないからって。そう思いながら、とにかくマネージャーとしてどこまでやれるかに焦点を当てているので、終えた後というのは、僕がそうしたいというよりは、積み上げてきた道を振り返ったあとに「こんなこともできたらいいな」ってきっと見つかるとも思っています。

ただ仰る通り、そこはチームマネージャーという仕事の課題でもあると思いますが、正直チームマネージャーという仕事の先に何があるっていう部分は、『これ』っていう前例がないんですよ。だから僕らが創るしかないと思っています。やっていった先を見せていくことで、これからチームマネージャーを目指す方々の道を作れたらな、と。だからこそ僕自身の"目標"は「40歳になっても50歳になっても、やれるところまでマネージャーの仕事をする」ですかね!……(続)




事務所にて。仕事、チーム、目標に対して真剣に、楽しそうに語る武田氏


>>>後編『Bリーグのクラブでマネージャーになりたい方へ』につづく






【PROFILE・その1】

武田有人:宇都宮ブレックス・チームマネジャー

栃木県宇都宮市出身。文星芸大附属高→拓殖大学卒。大学入学早々、練習中に膝の半月板を損傷してしまう。手術・リハビリを経て復帰したものの、体力的にも技術的にも追い付けなかったという。2年生になったタイミングで2つ上の先輩にあたる新岡潤(現:俳優・モデル、元アルバルク東京MG)氏に「マネージャーをやってみないか」と誘われ転身。新岡氏が卒業後に現アルバルク東京のマネージャーとして就職したことから「自分もプロのチームマネージャーになりたい」と考え、地元の現:宇都宮ブレックスを中心にチームを探すが見つからず、横浜の老舗コーヒー会社に営業職として入社。ただ、就職して3ヶ月ほど経った頃にブレックス代表の藤本光正氏から「山形でマネージャーを募集しているのだけど、武田さんの状況も理解した上でなんだけど、どうかな?」と電話があり二つ返事で回答。2014-2016年の2シーズンを現:山形ワイヴァンズで過ごした。2016年には再び藤本氏から直接電話で「ブレックスに来てほしい」とオファ―があり、Bリーグ開幕の2016-17シーズンから「アシスタントマネジャー」としてジョイン。以来チームの屋台骨として支え続け、翌2022-23シーズンから「チームマネジャー」となることが決定した。

とにかく多趣味で、コーヒーはもちろんサーフィン、漫画、映画などが好き。「今一番ハマっているものは?」と聞けば「マダガスカルから輸入されている『パキポディウム・グラキリス』という塊根植物を育てること」。コロナ禍になってから植物にハマり、中でも珍奇植物と言われるジャンルに目がなく、気づいたら沼にハマっていたと、楽しそうに語ってくれた。


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