車いすラグビー。またの名を殺人球技。
どうして、こんな物騒な愛称がついているのか、一度試合を見ればよくわかる。競技用の車いすが何度もひっくり返るくらい激しくぶつかり合う。そんな車いすラグビーに魅せられ、20年にも渡りその競技を支えることになった一人の女性がいる。
それが今回ご紹介する渡辺紗代子さん。
なぜ、そんなに車いすラグビーに彼女は夢中になったのか?
「だって・・・めっちゃおもしろくないですか?純粋にスポーツとして」
そう明るく話す彼女の熱量に終始、あなたも圧倒されるはず。
前半では、車いすラグビーとの衝撃の出会いから、日本唯一のチーム帯同の国際レフェリーとなった彼女の道のりを辿った。後半では、昨年、開催された東京2020パラリンピック。その渦中にいた渡辺さんに感動の大会を振り返ってもらった。日本のメダルの裏側で、どんな事を感じたのか。そして思い描く理想の未来についても伺った。
「私も試合見に行ってみようかな」
読み終わったアナタは、車いすラグビーの魅力にもうハマっているかもしれません。
(取材:構成=スポジョバ編集部 荻野仁美)
ーーレフェリーとして活動する中で、渡辺さんが東京パラリンピックを意識し始めたのは、いつ頃ですか?
渡辺:まず大前提として、オリンピックでレフェリーを務めるのは世界でトップ8の国際レフェリー。経験も資格も到底、自分は追い付かない世界なので、レフェリーとして関わるという事は夢のまた夢でした。でも2017年頃だったかな。国際連盟からTO=テーブルオフィシャル(試合中、時間、得点、ファウルの数などを管理する係)というポジションを日本人から選考しますって言われたんです。TOとしてなら関われる?!と「私にも資格はありますか?」って先輩に聞いたのを覚えています。私でも東京パラリンピックに関われるのかな?関わりたい!って思い始めました。
ーーテーブルオフィシャル!試合会場で、机について様々な数字を管理している方々ですね!レフェリーとはまた別だと思うのですが、TOとして、そこから試験を受けるのですか?
渡辺:大会を以て試験されます。日本選手権やWWRC(車いすラグビーワールドチャレンジ)とかそういった大会でTOを務めて審査されて、東京パラ100日前くらいに決定しました。無事選ばれた時は嬉しかった!あと安心しましたね~。チケット応募していなかったので、これで私もちゃんと試合見られるって(笑)
ーーそんな思いで迎えた東京2020、どんな事を感じましたか?
渡辺:これまで様々な大会に参加している中で、無観客とはいえ規模の大きさには圧倒されましたね。作りこまれた会場だったり、セキュリティひとつとってもそう。あぁパラきてるんだって実感しました。大会が始まると注目度の高さにも驚きました。SNSもにぎわっていたりとか、障がい者スポーツ全体の知名度が日に日にあがっていくのを感じました。
ーー日本中が注目していましたもんね!実際にTOとして渡辺さんが関わった試合はどの試合ですか?
渡辺:実は日本戦5戦中4戦TOを務めて、日本が負けた準決勝以外は関わっていました!
ーーなんと!渡辺さん、勝利の女神じゃないですか!!
渡辺:あはは(笑)全くの偶然なんですけどね~。準決勝だけ日本戦じゃなかったので「やった!これで日本戦ゆっくり見られる」って思ってましたけど(笑)
ーー日本が銅メダルを獲得した3位決定戦についても教えて頂けますか?
渡辺:前日の準決勝で日本が負けたじゃないですか。いつも代表合宿で一緒にやっているメンバーが打ちひしがれているのを会場で目の当たりにしてしまって動揺……しているつもりはなかったんですけどね。見たくない姿を見てしまって、その数時間後、私の担当試合だったんですけど、お恥ずかしながらTOみんな、めっちゃミスしたんです。試合後、TOは大反省会になって、3位決定戦は日本とか関係なく、とにかく!仕事に没頭しよう!っていうのが大きかったです。
ーーずっと一緒に戦ってきた仲間のそんな姿を見たら動揺しますよね…。どうやって、その気持ちを切り替えたのですか?
渡辺:入場口から出てきた選手の表情を見て「あ、大丈夫だな」って思いました。池透暢キャプテンは私のチームメイトなんですが、前日にめっちゃ泣いていて。取材でもまるで大会が終わったかのような受け答えもあったので、すごく心配していました。でも出てきた瞬間の表情を見て、あ、大丈夫だな、切り替えられているなってわかって。自分は自分の仕事に集中しようって思いました。おかげで3位決定戦は、ほぼノーミスで終える事ができました!
ーー絆を感じる素敵なエピソードです!そんな感動のメダルの瞬間ってどんな事を感じましたか?
渡辺:それが結構、聞かれるんですけど「終わった~!!」としか思わなかったんですよ〜!も~最悪~(笑)前日、ミスが多かった分、TOチームは「ミスなく終われた~!」って抱擁してました。選手たちが抱擁している後ろで(笑)で、少し落ち着いてから「ってゆーか銅メダルおめでと~!!」ってなりました(笑)
ーー(笑)それだけTOの仕事に没頭していたという証拠ですね!
ーー今、振り返ってみて東京2020を通して学んだことってどんな事がありますか?
渡辺:パラの笛を吹く国際レフェリーの方々って、世界のレフェリーのTOP of TOPなんですけど、とにかくオンとオフの切り替えが上手なんです!オンはオンで試合は集中して吹く!オフはとことん楽しむ!みたいな人たち。今大会でもAmazonでビニールプール買って中庭でプールして遊んでたんですよ!信じられます?!
ーーはい?プールですか?????
渡辺:レフェリー控室が中庭に隣接していて、それを知ったレフェリー達がAmazonでビニールプール注文してバケツリレーで水運んで、中庭で足湯みたいな事してました(笑)なんでそんな事しているかって、それをしないと、ひと大会もたないんですよ。私も初めて海外遠征行った時に、先輩から「たまには試合見ない日作らないと身体もたないよ」って言われたんです。「え?日本でもやっているし大丈夫でしょ」って思ったんですが、もたなかったです、本当に。体力も気力も。結局、ホテルの自室に戻って休んだりしてたんですけど、それの究極版が中庭でプールなんです。部屋に戻る時間がないから、控室でいかに短時間でリラックスしてエンジョイするかっていう。
ーーなるほど!ただ遊んでいるんじゃなくて、試合をちゃんと吹くために必要な時間って事なんですね。
渡辺:そうです!自分を自分に戻す時間。この切り替えの技術はすごく必要だなと感じました。あと、レフェリーは、動いている試合だけじゃなく、大会会場全体を見ろってよく言われるんですけど、その視野の広さもすごく勉強になりました。地元の小学校から観戦に来ている小学生たちがいたんですけど「あの小学生、あそこにいて危なくない?」とか。私がレフェリーとして、あの場にいたら、いっぱいいっぱいで見えてなかったんじゃないかなって思いました。TOというレフェリーに一番近いポジションで、トップのレフェリーの仕事ぶりを客観的に見る事ができたからこそ学べた部分ですね。
ーーそんなレフェリー達の姿を目の当たりにしたら、次のパラリンピックこそはレフェリーとして関わりたい!という思いが芽生えてくるのかなぁと思うのですが…渡辺さんの次なる目標は、やはり「パリ・パラリンピックで笛を吹く」でしょうか?
渡辺:パラリンピックで笛を吹きたい、これは間違いないんですが、もう断言します。パリは無理なんです。パラで笛を吹けるのは世界で8人しかいない。そんな世界の8人に入るための経験を積むのにパリまでの3年じゃ足りないんです。低いレベルの国際大会から始めて、世界選手権吹いて、もうこの子に任せて大丈夫って思われないと候補になれないんです。選考に出す資格すら3年じゃ難しいかな。なので、その次のロサンゼルスで吹けたらいいなって思っています!ただ、そうなると年齢が壁になってくるんです。
ーー選手だけじゃなくレフェリーも年齢が関係してくるのですか?
渡辺:レフェリーって走るし、判断も瞬時にできないといけないので、選手と同じくらい年齢が影響してくると思うんです。ロサンゼルス・パラリンピックの時、私は42歳。私にとって最初で最後のチャンスになると思っています。今、日本の車いすラグビーは競技力も注目度もあがって、ありがたい事に選手がアスリートとして扱ってもらえる環境が整ってきています。車いすラグビーがお仕事ですっていう環境ですね。
レフェリーも同じように、レフェリーがお仕事ですっていえる環境になったらいいなと思っています。私は現在、カフェで働いているんですが、その仕事を休んで、大会や日本代表の合宿に参加しているのが実情です。何かしらレフェリーにもスポンサードしてくれたり、給与保証をしてくれるような企業が見つかれば、すごく活動がしやすくなって、短期間で技術をあげられて、私の様に年齢が壁になってパラここまでしか挑戦できないって事がなくなると思うんです。
ーーひとつの職業として成り立つ。もしくはアスリート雇用のような形ですね。注目度も上がっている今、そのチャンスもゼロではないかもしれませんが実現には、まだ少し時間がかかるかもしれませんね・・・
渡辺:私が現役の間は無理かもしれません。今、私がこうして活動できているのも先輩方が地盤を築いてくれたからなんです。世界でも日本人レフェリーの評価って高いんですよ!国際大会に行っても「日本人なの?〇〇に教えてもらってたの?じゃあ安心だね」ってよく言われるんです。このバトンをもっと磨いて、よりよい環境にして後輩たちに渡すことが、自分が活躍するよりも、もっと重要な仕事だと思っています。レフェリー、国際レフェリーを目指しやすい環境を作りたい。選手だけじゃなく、レフェリーも世界で活躍しようとしている人間がいるっていうのを、まずは知ってもらうのが第一歩かなと思って。今はSNSを通じて、情報発信を始めたところです。
ーーここまでお話を伺って、活動の熱い思いの更に源流のところに「車いすラグビーをもっと広めたい」というのが渡辺さんにはあると思うのですが、よりどんな未来が理想とする世界ですか?
渡辺:プロスポーツ化される事ですかね!試合で何万人って観客が入ったりしたら最高ですよね〜!!あと究極をいうと、私が生きている間は無理やと思うんですけどパラリンピックがなくなることです。オリンピックのひとつの競技になっちゃうこと。オリンピックで男子と女子が分けられているように、障がい者部門があればいいと思うんです。夢物語に聞こえるかもしれませんが、少しづつ取り巻く環境は変わってきているんですよ!オリンピックとパラリンピックの組織委員会って、ずっと別だったのが2008年北京大会から一緒になったんです。国内でいえば、障がい者スポーツが厚生労働省の管轄だったのが、健常者スポーツと同じ文部科学省の管轄になったり。ちょっとずつ……いや大きいな(笑)変化は訪れています。
ーーなんだか渡辺さんの思い描く未来も、そう遠くはない気がしてきました!これからの活躍も期待しています!!
【PROFILE】
渡辺 紗代子(わたなべ さよこ)
沖縄県沖縄市出身。元理学療法士。車いすラグビーチーム「FREEDOM」(高知県)スタッフ。専門学校時代に恩師の導きで、車いすラグビーに出会い、以後20年、競技を支える事になる。チームメイトに審判を頼まれた事をきっかけに、車いすラグビーのルールを本格的に勉強し始め、レフェリー資格を取得する。また日本で初めてチームに所属しながら国際レフェリー資格を取得。現在はカフェ店員として働く傍ら、様々な大会でレフェリーを務め日本代表合宿にも参加する。
東京2020パラリンピックでは、テーブルオフィシャル=TO(試合中、時間、得点、ファウルの数などを管理する係)を務めた。コロナ前は月一でディズニーに行くほどのDヲタ(ディズニーオタク)。アトラクションの時間帯別の混雑具合を把握しているため「私とディズニー行ったら15分以上、並ばせませんよ♪」
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