パラ水泳を支える「タッパー」って何?第一人者に聞く、仕事の歴史と今と未来

パラ水泳 日本代表コーチ・タッパー 寺西真人

パラ水泳を支える「タッパー」って何?第一人者に聞く、仕事の歴史と今と未来

パラ水泳 日本代表コーチ・タッパー 寺西真人

東京オリンピック・パラリンピックの開催まで7ヶ月となりました。コロナ禍で開催は1年延期となりましたが、徐々に国内大会や国際大会が行われ始めるなど、選手や関係者は本番に向けて着実に準備を進めています。

そこで今回は、パラリンピックの人気種目であるパラ水泳を支える人を紹介します。視覚障害のスイマーが泳ぐ時にサポートする「タッパー」の第一人者、寺西真人さん(61歳)です。タッパーは練習やレース中にプールサイドに立って、棒の先に付いたスポンジのようなものがついた「タッピング棒」で頭や体の一部をたたき、ターンやゴールのタイミングを知らせる重要な役割を果たしているのです。

過去にはバルセロナからロンドンまで6大会に出場し金メダル5個を含む21個ものメダルを持つ河合純一さんを育て、現在も来年の金メダルを狙う木村敬一選手をはじめとしたトップスイマーたちをを担当するなど、この道30年の寺西さん。仕事のやりがいや難しさ、今後について伺いました。

(取材:構成=スポジョバ編集部)

教員一家で生まれた寺西さんが、盲学校との出会いで変わった人生

ーー寺西さんは、盲学校の先生として長く務められてきましたよね。

寺西:うちは教員一家なんですよ。両親も親戚も教員ばかりで、逆に言えばそれしか仕事を知らなかったんですよね。高校までは国立の筑波大学附属でエスカレーターだったのですが、体育の教員の資格を取ろうと思い、家が東京ということもあって日本体育大学に進学しました。

ーー寺西さん自身、水泳をやっていたんですよね。

寺西:中学・高校時代に水泳部に所属していましたね。その経験もあって、大学を卒業後から盲学校で正式に教員になる前は、子どもに水泳を教える教室を開いていました。子どもは教え方次第で、3日間で25メートル泳げるようになるんですよ。

ーー3日間はすごい!どうやって教えるんですか?

寺西:まずは息継ぎを我慢して浮く。人間は下を向いて体の力を抜くと浮くんです。それを怖がるから水を飲んでしまうんですよね。だから優しくサポートして、「先生はここにいるよ」って安心させていましたね。最初は手のひらで手を持ってあげて、私の手のひらを指3本にして、最後は1本にして、時々離して…「ほら、浮いたね!」と言ってあげる。ある意味、暗示ですよね。私、昔から口だけは達者なので(笑)。

ーーそういうご経験が、盲学校での指導にも生きているのかもしれませんね。

寺西:まだ泳いだことのない視覚障害の子どもたちも水泳をやりたいといって入学してきたので、そういう意味では生きたかもしれませんね。盲学校で勤めるまでは障害者のことを何も知らなかったんですけど、勤め出してからすっかり人生が変わりましたよ。こんなに一生懸命素直にやる子たちがいるんだ!と思いましたね。





合図は釣り竿で!?選手のタイムを左右するタッピング棒のヒミツ

ーーその盲学校で、河合純一さんとの出会いがあったんですよね。

寺西:私が勤め出した3年後に河合が入学してきました。当時は盲学校の中にも水泳部がなくて、視覚障害者が泳ぐなんて文化はなかったんですよ。河合が高校2年の時に、初めてバルセロナパラリンピックに出場しましたね。当時はタッピングはしてもしなくてもよかったような時代だったんですけど、タッピング次第でメダルの色が変わってしまうんですよ。それくらい、責任のある役割なんですよね。

ーーまだまだブラインドの水泳が普及していない時代に、寺西さんはどうやってタッピングの勉強をしていたんですか。

寺西:最初は、モップの柄を使っていました。そこに子どもがプールでつけるような浮き輪を切ってつけていましたね。でも木の棒なので水で腐りそうになるんですよ(笑)。そのあと使ったのは、生徒の落し物の白杖ですね。軽くてよかったんですけど、どんどん河合が上達してくると短い棒ではダメになってきて、「釣り竿」にたどり着きました。実は今でもタッピング棒の素材についてはレギュレーションがなく、釣り竿を使っていますよ。




ーータッピング棒には、シールが貼られていますね。

寺西:選手によって、プールの壁から「どれくらい手前で」「どんな風に」タッピングすればいいかというのは違うんですよ。だから、叩く時の壁から頭の距離を間違えないように、選手と種目名を書いて貼っているんです、例えば、木村敬一の200メートル個人メドレーの時、背泳ぎから平泳ぎに移る時はこの辺だよね、という風にです。木村のライバルである富田宇宙は、より手前(壁から遠く)で合図を出すんですよ。これに頼ってしまうといけないんだけど、本当にシーンによって出し方が変わってくるので、失敗は許されませんからね。

※木村敬一:パラ水泳選手。北京パラリンピックに出場し、ロンドンとリオでは銀メダルと銅メダルを獲得。東京パラリンピックにも内定している

ーー合図の出し方でそんなに変わってくるんですね。

寺西:本当に0.01秒とか0.02秒のレベルで合わせているんですよ。安全を確保するだけだったら壁にぶつからないように叩けばいいだけなんですけど、叩かれてからの一伸びがタイムを左右するので、大事にしていますね。木村の場合は出来るだけ引き込みたいので、ギリギリまでタッピングを我慢します。





選手の「目」になる。プールサイドで一緒に戦うタッパーの責任

ーータッパーをする上で大事なことって何でしょうか。

寺西:やっぱり信頼関係ですね。タッピングそのものは人によって3日で出来るようになるかもしれないし、1年たってもダメかもしれないし、日頃の練習ではトップスピードの泳ぎをする機会も少ないです。でも選手たちにとって一番重要なのは「試合で安定して合図を出してくれて、安心して泳げるか」。特に平泳ぎとバタフライは顔が正面を向いているので、失敗したら顔にケガをさせてしまうかもしれないんですよね。そういいながら、河合も木村もぶつけさせてしまった経験はありますけどね……(笑)。

ーーなんと……(笑)。寺西さん自身、レース後は疲れるとおっしゃってましたね。

寺西:疲れますね。呼吸を合わせているし、選手の「目」になって戦っているので。レース中は、一緒に泳いでいるような感覚なんです。

ーー信頼関係が大事とおっしゃってましたが、その秘訣みたいなものはあるのでしょうか。

寺西:ウソつかない、気取らない、深く突っ込みすぎない。例えば木村に関しても中学からの付き合いですが、中学生は中学生なりの、高校生は高校生なりの、大学生は大学生なりの、社会人は社会人なりの接し方をしていますね。水泳以外では、彼から相談されない限りあまり突っ込まない。もちろん長い時間一緒にいるので親子のような関係でもありますけど、その適度な距離感が信頼感を生んでいるのかもしれませんね。

ーーでは2人の間で、このタッピングは良かった、良くなかったみたいな話もするのでしょうか。

寺西:もちろんありますよ。でも木村は「寺西さんが失敗するんだったら誰が叩いてもしょうがないし諦める」と言ってくれています。逆に、リオで銅メダルを取った時は自分の中で人生最高のタッピングをしたと思っているのですが、当の本人は「何もわかりませんでした」と言っていて、「まじかよ」と思いましたね……(笑)。





自らの集大成を右手に託す。金メダルの喜びをもう一度

ーー長年やってきて、タッパーの仕事を楽しいと思う時はどんな時ですか。

寺西:正直、日頃の練習で楽しいという感覚はないですね。でもいいタイムが出た時は嬉しいし、4年に1回のパラリンピックで結果が出た時は「俺じゃなかったらこの記録は出せなかった」と思える時がある。そういう意味ではやりがいを感じてます。実はパラリンピックで自分がゴールで叩いて金メダル、というのはまだ河合のレースだけなんですよ。

ーー他の選手の金メダルのレースではターン側のタッピングに回っていたということですね。

寺西:もちろん他の大会ではゴール側での金メダルは何度もあるんですが、実はターンのタッピングの方が難しいというのもあって、そちらに回ることが多いんですよね。50メートル自由形だったらターンがないのでゴールに行けるので、もう一度あの感動を味わいたいなと思っています。もちろん選手がメダルを取ることそのものが一番大事です。ただ今までやってきたことの集大成というか、この一瞬の為に何十年も費やしてきたので、「自分が叩いてゴールして金メダル」という喜びをまた体験したらどんな気持ちになるんだろう、と思いますね。

ーー来年の開催、どういう形になるかわからないですけど、いい結果で終わりたいですよね。

寺西:木村が金メダルを取ったら、「俺の水泳人生やっと終わった」と思えるんじゃないかな。その後どうなるか、まだ自分の気持ちはその時にならないとわからないですけどね。ただ、彼が中学1年の時から「パラリンピックに連れて行ってやる」といって歩んできた二人三脚の道。ロンドンでもリオでも取れなかった金メダルを東京で取ろうとずっと話してきました。2人で一緒にずっと積み上げてきたものがどうなるか楽しみだし、その瞬間に立ち会えたらと願っています。





【PROFILE】

寺西真人(てらにし・まさと)

1959年7月26日東京生まれ。パラ水泳日本代表のコーチ、タッパー。筑波大学附属視覚特別支援学校の元教諭。東京教育大学附属高等学校、日本体育大学卒業。大学卒業後は母校の高校の体育非常勤講師、筑波大学附属視覚特別支援学校の非常勤講師を経て、同校教諭に。自ら水泳部を立ち上げ、河合純一や秋山里奈、木村敬一などのパラリンピックメダリストを育てたほか、タッパーとして選手たちのレースを支えている。


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