元日本代表の二刀流経営者が実践 「最後は勝つ」プロチーム経営

立川アスレティックFC 選手兼代表理事 皆本 晃

元日本代表の二刀流経営者が実践 「最後は勝つ」プロチーム経営

立川アスレティックFC 選手兼代表理事 皆本 晃

東京都立川市をホームタウンに持つフットサルチーム・立川アスレティックFC。日本フットサルの最高峰・Fリーグで今季来場者数2位を記録している人気チームです。かつては「府中アスレティックFC」。府中で誕生したこのチームは、経営難やホームタウンの変更など、多くの壁にぶつかり、一時はチームの解散の危機に見舞われました。そのとき「チームをなくしたくない」と立ち上がったのが、当時選手だった元フットサル日本代表の皆本晃さん。皆本さんは、選手兼代表理事となり、自身のアイデンティティでもあり、チームが大切にしている理念でもある「最後は勝つ」ということを原動力に、手探りながら突き進み、チームを再びトップクラブへと押し上げました。そんな皆本さんは「経営もスポーツも一緒だ」と言います。その意図はいかに。

(取材・執筆:小林 千絵、編集:伊藤 知裕、池田 翔太郎)

数千万単位の赤字を生むビジネスを引き継いだ「チームをなくしたくない」

──立川アスレティックFCの前身・府中アスレティックFCでフットサルを始められた皆本さんは、スペインリーグでの経験も経て、2022年に立川アスレティックFCの代表理事に就任されました。まずは代表に就任した経緯から教えてください。

皆本 チームの遍歴も影響しているのですが、まずは当時チームのホームとして使っていた府中の体育館が、サイズの問題で使えなくなってしまって。府中を離れなくてはならなくなりました。そこで、ホームアリーナとしてアリーナ立川立飛を使うことになり、府中と立川の2つをホームタウンという形で活動することになりました。その状態で数年続けていたのですが、やはりダブルホームタウンという体制はなかなかうまくいかなくて。立川の人には「府中のクラブ」だと思われて受け入れられていない感じがしたし、府中の人には「立川に行っちゃったんでしょ」と思われてしまっていて。しかも当時僕はキャプテンをやっていて、イベントにはだいたい僕が参加したこともあって、街中でのイベントのたびに「もう立川行っちゃったんだろう」と言われたりして。直接言われた回数は僕が一番多いと思うんですよ。

(府中アスレティックFC時代の皆本さん・中央)

──ファンの方からしたら、コミュニケーションの一環でもあったとは思いますが…。

皆本 そう。悪気があるわけじゃないんですけど、どこに行っても言われるからグサグサきて。そういう状況が続くうちに、チームの経営もうまくいかなくなってしまった。そしてチームが解散することになりました。そこで、僕に相談が来たんです。「チームは解散することになった。続けたかったらお前が続けていいよ。難しそうだったら、このまま解散でいいよ。もしくは、信頼できる誰かに運営を託してもいいよ」と。

──かなり大きな選択を迫られたんですね。

皆本 はい。僕はその時点で15年くらいクラブにいたので、自分が一生懸命やってきたクラブがなくなるというのは嫌でした。とはいえ、突破口があるわけでもなくて。だって、そもそもそれまで経営をしてくれていた方もすごく優秀な方ばっかりだったわけで。それでも毎年数千万円の赤字になっているビジネスを、経営をしたことのない素人がやって好転させられるわけがない。その恐怖はものすごく大きかったです。

──赤字がなくても、突然会社の経営を任されたら不安になりますよね。

皆本 そうですよね、自分の資産でなんとかなるような額でもないですし。だから、冷静に考えたら無理なんです。だけど「チームをなくしたくない」という気持ちが強かったので、続けることを選びました。そこからは、“無理か無理じゃないか”ではなく、無理じゃない方法を探すようにしました。

──そのタイミングで、ホームタウンも立川に移したんですよね。

皆本 はい。まさに僕が一番苦しんでいたことだったので、立川にするということは僕が決めました。

──チームの経営再生と並行して、立川の街や人々にチームを受け入れてもらう必要もあったと思うのですが、そこはどのように?

皆本 地域ビジネスは人と人の関わりがすべてなので、立川のコミュニティを把握するために「誰にどういう順番で話していけばいいですか?」と色々な人に相談して、とにかく皆さんに頭を下げていきました。でもそれは全然嫌なことではなかったです。もちろん大変ではありましたけど、大前提として立川アスレというチームを好転させたいという思いだったので、どんなに大変なことでも耐えられました。そんな中で感じたのは、チームの経営もスポーツと一緒だなということでした。

トライ⇒検証⇒トライ&諦めずに続けること

──どういうことでしょうか?

皆本 大事なのは、様々なトライを繰り返すこと。トライをすれば、成功したり、失敗したり、いろいろなことがある。そこで重要なのは、成功したかどうかではないんですよ。うまくいかなかったとしても、しっかり検証して、同じミスを繰り返さないこと。そして、また違う方法を試してみる。それを繰り返すだけなんです。それはスポーツの上達の法則と一緒で。

──確かにそうですね。皆本さんのこれまでのスポーツの経験があったからこそ、経営においてもトライすることへの恐怖心や、失敗することに対する不安感を持たずにいられたんですね。

皆本 そうですね。僕は、初めからうまくいくとは思っていない。だけど“最後は勝つ”と思っているんです。例えば、僕は小学生のころ、逆上がりも、二重跳びもできませんでした。実際、逆上がりができるようになったのは、クラスで最後でした。だけど、できるようになるまでずっと練習していたから、最終的に僕が一番うまくなったんです。二重跳びも、中学生になってからようやくできるようになったんですが、最終的に1000回くらいできるようになって。サッカーでも、リフティングができるようになるのは遅かった。ただ、みんなはできるようになると練習をやめてしまいますが、僕はできないからずっと続けて、最後には一番上手くなっている。そうやって、いつも最後には勝ってきました。だから、経営をしていても、「どうせ数年後には勝っているし」と思えますし、今も、側から見たら成功していると思われるかもしれないけど、自分のなかではまだ成功への過程でしかなくて。

──それにしてもそもそも、勝つまで続けられることがすごいです。

皆本 勝つまでやれば勝ちますから。僕はよく「勝っている選手」と思われているんですけど、本当は何度も負けている。だけど、最後に勝つから、記憶が上書きされて、勝っている印象が強くなるんです(笑)。

給与ストップがきっかけ「僕は経営に向いている」

──ここまでお話を伺ってきて、チームの経営にすごく向いている印象を受けましたが、実際に代表として経営を行う面白さややりがいはどのようなところに感じていますか?

皆本 まずは自分が決断できること。もちろん仲間の同意を得たうえでですが、決断するときに遮るものがない。失敗したときは自分で責任を取ればいいだけなので。これは経営を始めてから思ったことですが、僕、たぶん経営者が向いているんですよ。自分が納得したことだったら、意見は変えられますが、いろいろな理由をつけてやめさせられるのが本当に嫌で。「失敗させてくれ」って思うんです。その点、社長だったら「失敗したときは俺が謝るから」と言って進められる。

──確かにそうですね。ちなみに代表になる前は、チームの運営や経営について何か意見することはあったのでしょうか?

皆本 それこそ、ファンの方から言われたことはチームに伝えていました。それと……府中時代、あまりの経営難で給料が止まっていた時期があって。そのときに「スポンサーを自分で見つけてくるから、給料の代わりに、その何割かをくれ」という交渉をしたんです。

──そうだったんですね。実際にスポンサーは見つかったのでしょうか?

皆本 はい。スポーツ選手ということもあって、いろいろな知り合いがいたので「給料が出なくなって助けてほしい」という話をして。その結果、元々の給料より多くなりました(笑)。だから会社の代表になったときも、コストカットを徹底しながら、当時の延長線上のような感覚でスムーズにスポンサー営業に取り掛かることができました。

──そうして選手兼代表として駆け抜けてきたこれまでの中で、特にうれしかった出来事を挙げるとしたら何ですか?

皆本 やはりホームゲームにたくさんお客さんが来てくれることですね。はじめは700人くらいしかいなかったお客さんが、今では2000人以上に。それをみんなで喜び合えるのは、毎試合うれしいです。もちろん改善しなければいけないこともあるので、週明けには社長としてスタッフを指導することもありますけど、でもやっぱりホームゲームに向けて、「これだけの人を集めよう」とみんなで頑張って、たくさんの人が来てくれて、そのなかで試合に勝って喜ぶ瞬間は本当にうれしいですね。その時間をつくるために毎日頑張っているので。「このクラブを残して良かったな」と思う瞬間です。

日常に「アスレがあるから」 立川の人々に彩りを与える存在に

──現在、チームの経営をするうえで大切にしていることは何ですか?

皆本 選手だからとか社長だからというのは関係なく、クラブが積み上げてきたものは大切にしていきたいです。それが自分が引き継いだ理由だし、このクラブを残した理由なので。クラブが大切にしているのは、諦めない気持ちや最後まで続けること。それは自分のアイデンティティと一緒なんですよ。だから自分が自然体で大事にしていることを、これからもずっと大事にしていきたいです。

──先ほど、まだ成功への過程だとおっしゃっていましたが、立川アスレティックFCというチームの今後の展望を教えてください。

皆本 とにかく立川の街に必要とされるクラブにしたい。これを叶えるためには、立川アスレティックFCというチームが何のために存在しているのかを繰り返し考えること。私たちのクラブ理念は「スポーツで、人生に大きな夢と、毎日に小さな彩りを」。この“夢”というのは子供達の憧れになるということで、“彩り”は、「アスレがあるから」という気持ちで日常生活の中を過ごしてもらうということ。まだまだそういう存在にはなれていないので、もっともっと立川の街に浸透していきたいですね。

──そのクラブ理念にも通ずると思うのですが、街にスポーツチームがあるということは、どういう意味を持つと考えていますか?

皆本 僕は千葉の松戸で生まれたのですが、僕の街にはスポーツチームがありませんでした。だけど隣の柏市には柏レイソルがあって。本当にうらやましかったんです。柏市では、学校にレイソルの選手が来たり、選手がサッカー教室を開いたりしていて。だけど僕の街には来なかった。その代わり……というわけではないですが、例えば地元の公民館に落語家が落語をしにきて。それでもめっちゃ興奮したんですよ。「有名人が来た!」って。その興奮を今でも覚えていて。

──日常的にそういう憧れの存在がいたら、応援する楽しさも味わえるし、いろんな繋がりも生まれますね

皆本 例えば「アスレの応援に行ったら、今まで関わりのなかった同じマンションの人がいて、それから仲良くなった」とか。そういうコミュニティができますよね。実際、僕の息子のクラスメイトに、アスレのスポンサーをやっている会社の人がいて、よく応援に行くという話を聞くこともあります。皆本選手や皆本社長でもなくて「〇〇君のパパ」なんです(笑)。

──それこそ、スポーツチームが自分の街にある良さですね

皆本 僕はそれがフットサルでなくてもいいと思っているんです。僕はフットサルが好きだし、自分がフットサルをやっていたから、まずはフットサルクラブを成功させたいですが、そのあとは、別のスポーツチームの経営に携わるのもいいなと思っています。その街に合うスポーツって、街によって違うと思うので。例えば、体育館のサイズや人口の数によっては、バドミントンのチームが合う街もあるだろうし、逆に大きな街で人口も多ければ、サッカーがいい。個人種目が盛んな街もいいと思う。地元のクラブで育った誰かが、オリンピックに出てくれたらすごくうれしいじゃないですか。それがその街の誇りになるし、アイデンティティになる。スポーツにはそういう力があると思うので、その可能性を突き詰めていきたいなと思っています。

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【PROFILE】
皆本 晃

1987年1月28日生まれ、千葉県松戸市出身。高校卒業後の2005年にサッカーからフットサルに転向し、府中アスレティックFCに加入。スペインやカタールのクラブでのプレーも経験した。フットサル日本代表として76試合に出場、キャプテンも務め2021年のW杯にも出場。選手としては2025-26年シーズン限りでの引退を表明している。

第1位

第2位

第3位

第4位

第5位

設立年月 2022年01月
代表者 皆本 晃
従業員数
業務内容

男子「立川アスレティックFC」、女子「立川アスレティックFCレディース」の運営

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