全国に85校のスイミングスクールを展開し、これまでに14名のオリンピアンを輩出してきた株式会社ジェイエスエス。「普及」と「強化」を両輪に掲げる同社は、楽しさを伝える一般クラスと、競技の頂点をめざす選手育成コースの両方で、子どもたちの成長に寄り添ってきた。
その強化の現場で長年指導を重ねてきたのが、営業推進本部副本部長の梅原孝之さんだ。かつてオリンピックにも出場した瀬戸大也選手を指導した経験を持ち、水泳指導の最前線で日本の競技力を上げていた梅原さんは、現在営業や商品開発の立場からもスイミング界を支えている。
「記録が伸びる喜びを一緒に味わえるのが、この仕事の醍醐味」。
その言葉からは、指導者として、そして一人のコーチとしての矜持がにじむ。選手の成長とともに歩み、スイミング界の未来を描いてきた梅原孝之さんに、水泳指導者としてのキャリア、“強化”の哲学、そして子どもたちや社会に届けたい価値について話を聞いた。
(取材・執筆:伊藤 千梅、編集:伊藤 知裕、中田 初葵)
――オリンピックにも出場した瀬戸大也選手を始め、トップ選手をたくさん指導されてきた梅原さんが、指導者を始めたきっかけを教えてください。
私は中学まで選手として水泳をやっていたのですが、高校3年間は競技から離れていました。大学受験のため浪人していた時期に、たまたま求人誌でスイミングコーチの募集を見つけたのがきっかけです。「懐かしいな」と思い、興味本位でアルバイトを始めました。
――3年間のブランクがあるなかでコーチをやることに、不安はありませんでしたか?
選手とコーチはまったく別のものです。選手としては自分なりにやり切った気持ちがあり、挫折もありましたが後悔はありませんでした。指導に関しては「元に戻る」というより、同じ水の中でもまったく異なる世界に足を踏み入れる感覚でした。
――実際に指導をしてみていかがでしたか?
浪人していた10カ月の間に、すっかり楽しくなって心を奪われました。大学入学時には「もう就職先が決まった」と思っていたほどです。北海道の大学に進学しましたが、学科選択より先にやったのが水泳コーチのアルバイト探しでした(笑)。
――選手とは別の楽しさを生み出されたのですね。水泳指導のどんなところに心を奪われましたか?
当時は主にジュニアの指導をしていて、子どもが好きだったことや、上達したときの笑顔を間近で見られることに大きなやりがいを感じました。職場の人間関係にも恵まれていて、仲間の存在も大きかったですね。人によってアプローチを変える必要がある点や、うまくいった時の達成感は、他のアルバイトにはない魅力でした。
――大学卒業後にジェイエスエスさまに入社してから、後にオリンピック選手になる瀬戸大也選手の指導もされてきました。特に大事にしていたことはありますか?
瀬戸選手とは10歳から25歳まで、15年間関わってきましたが、今振り返ると“距離感”をとても大事にしていたと感じます。年齢によってこちらから伝える言葉や内容、相手から伝わってくるものは当然変わっていきますが、一貫して「親でも友達でもない、コーチと選手」という関係性を保つことを意識していました。それが良かったと思っています。
――距離感をきちんと保つことで、どんな良さが?
私が彼と関わり始めた最初の1年は、全国大会に出場してもすべて予選落ちしてしまうような選手でした。そこからオリンピックに至るまでの間、多感な時期を共に過ごし、体もメンタルも大きく成長する中で、良くも悪くも純粋な水泳の指導以外の壁にもぶち当たってきました。その中で「コーチと選手」という線を曖昧にしていたら、うまくいかなかったと思います。
距離が近すぎると、何かあったときに関係が崩れる可能性がありますし、選手が強くなるとコーチが追いつけなくなる局面も出てきます。だからこそ、適切な距離を保ちながらしっかりコミュニケーションを取ることが、長く続けるうえで何より重要だったと、今は感じています。
――「コーチと選手」という適切な関係性が瀬戸選手の大きな成果につながっているのですね。現在は、本社の業務に当たられているそうですね。
最後まで現場でコーチングを続ける道もありましたが、営業や本社業務にも関心があり、いろいろ考えたうえで現在は本社に所属しています。それは2016年のリオデジャネイロオリンピックの頃から考えていたことで、当時から選手たちにも伝えていました。
実際に現場を離れたのは、2021年に開催された東京オリンピック後で、それまでは指導を続けていました。その後、連盟の仕事などを経て、今年7月から本社勤務となりました。現在は商品部、広報部、強化部を兼務しています。広報は以前に経験がありますが、商品部の仕事は初めてなので、営業にとって大事な商品知識を身につけるために、部下に教わりながら勉強しているところです。
――長年携われているジェイエスエスさまが水泳教室を運営する上で大切にしていることを教えてください。
会社としては、水泳の「普及」と「強化」の二本柱を大切にしています。
“普及”では、水に親しむ機会を増やすことで安全性を高め、より多くの人が泳げるようになることを目指しています。そのうえで、心も体も鍛え、目標を達成する喜びを味わえるような“強化”にも取り組んでいます。この2つを軸にして、スクールを運営しています。
――普及と強化の二本柱こそがジェイエスエスさまらしさなのですね。他の水泳教室と比べてのジェイエスエスさまの強みは何ですか?
全国に85の拠点があるという規模感は、ひとつの強みだと思います。そのうちスイミングの教室は79カ所あり、それぞれの現場でコーチが自分たちのやり方を工夫しながら、強化に取り組んでいます。
本部の研修では、私たちが一方的に伝えるだけではなく、各事業所の知識や経験を持ち寄って、情報を共有し合うような場になっています。視察や研修を通して、横のつながりをつくれることも、全国に拠点があるジェイエスエスならではの良さだと思います。
――ジェイエスエスさまらしさはいつからあるのでしょうか?
会社の設立当初から「普及」と「強化」はセットでした。強化の一環として、選手育成コースもほぼ全国のクラブに設けられています。
設立は1976年ですが、飛び込みを含めると1980年のモスクワオリンピックから、今までずっとオリンピアンを輩出し続けているのも、その取り組みの成果かなと感じます。
――1980年から絶やさずオリンピアンを輩出されているのですね…!そんなオリンピアンを輩出できる選手育成コースの指導をすることにはどんな魅力がありますか?
育成コースに入る選手は、「楽しむこと」だけでなく「タイムを伸ばして上を目指すこと」も大きな目的になります。その目標に向かって、コーチも一緒に進んでいくなかで、結果を出した時に選手と喜びを分かち合えることが、この仕事の一番の魅力だと思います。
もちろん一般クラスでも達成感はありますが、育成コースではより全国大会など高い目標を見据えている分、結果を出した時のガッツポーズや笑顔をみて、喜びを一緒に味わえた時のうれしさもまた格別です。
――選手育成コースは一般クラスと比べて、コーチの働き方に違いはありますか?
ジェイエスエスではしっかりと勤怠管理をしていますが、大会が基本的に週末開催なので、土日は休みにくく、平日をうまく使って休むスタイルになります。友人との予定が合いづらいといった面もありますが、それ以上に選手と一緒に大会で得られる達成感に価値を感じられる人には、やりがいのある仕事だと思います。
――指導において、選手として実績がある人が強みにできることと、逆に気を付けたほうがいいことはありますか?
実績がある人の強みは、やはり経験値です。自分が泳げる分、技術の道筋が見えているという安心感はあると思います。
一方で、泳げなかった頃の感覚を忘れてしまっている場合があり、そこは注意が必要です。初めてプールに来るような子どもたちの指導でつまずくケースも見てきました。逆に、泳ぎにあまり自信がなかった人は、自分で感覚をつかみながら教えることが多いので、伝え方が工夫されていてわかりやすかったりします。努力して身につけた分、教える力が高いコーチも多いです。水泳経験が浅いコーチがオリンピック選手を育てた例もたくさんあります。
――経験や実績がすごく大事になるわけではないのですね。
そうですね。最低限、溺れないレベルにはなってほしいですが、あとは練習すれば十分やっていけます。デモンストレーションで泳ぐ機会はありますが、長い距離を泳ぐ必要はなく、短い距離で見せられれば問題ありません。入社してからでも十分やっていけると思います。
ジェイエスエスで選手をやっていた子が、アルバイトから社員になるケースもよくありますが、決して全員がトップ選手だったわけではありません。でも、水泳は記録の競技なので、たとえ1位にならなくても「タイムが縮まった達成感」は誰でも得られます。その経験があるからこそ、指導者を目指してくれる人も多いですね。
――水泳を通じて、子どもたちに対して働きかけていきたいことはありますか?
私が一般クラスの水泳指導をしていた頃、一番楽しかったのが初めてプールに来る子どもたちの指導でした。水泳を初めて体験した時に「楽しい」と思ってもらえるかどうかは、とても大事なポイントなので、苦労も多かったですが、私はその時間が一番好きでした。
大抵の子は、初めて親から離れて知らない水の中に入るので泣いてしまうんです。そんな子どもを抱っこしながらプールに連れていって、1時間でどこまで泣き止ませられるかが、自分の中での勝負でした。最後にギュッと抱きついてきてくれると、心を許してもらえているなと感じられて、すごくうれしかったですね。
――勝負の瞬間でもあり、子どもとの信頼関係が築かれたときはやりがいを感じられる瞬間ですね。
そうですね。実際に最初が楽しいと次の週も来てくれますし、仮に1週目がダメでも、2週目、3週目と少しずつ目標を立てて進めていく。それが子どもにとっての“はじめの一歩”になって、最終的には「水泳、楽しかったな」と思って卒業してもらえたらいいなと思っています。そういう体験を届けられるのが、コーチの仕事なのかなと。「あのコーチがいるから、プールに行きたい」と思ってもらえるスクールづくりをしていくことは、大事なことかなと思います。
――最後に会社全体として描いているビジョンを教えてください。
ジェイエスエスは「水を通じて健康づくりに貢献する」という経営理念を掲げています。ただの水泳教室ではなく、“水”というフィールドを通じて、私たちは社会に向き合っています。健康づくりや、子どもたちの育成はもちろん、これからは高齢化社会に向けた取り組みも必要です。健康志向や余暇の活用といった社会課題に対して、水を通じたアプローチで貢献していくことが、ジェイエスエスの目指す未来の形だと思っています。
――では梅原さんご自身が、ジェイエスエスさまで成し遂げたいことはありますか?
コーチとしての経験は、ジェイエスエスで全部教えてもらったものです。その経験を、これからの若い世代にどんどん返していきたいと思っています。今は営業や商品などにも関わるようになったので、指導だけではなく、違う角度から水泳の世界に関わることも増えました。選手や指導者にとって本当に必要なものを探して、届けていくことも、これからの私の役割だと感じています。水泳の楽しみ方はどんどん広がっていますし、それを支える会社の役割も、もっと多様になっていくはずです。その中で、自分なりの形で水泳界や会社を少しでも大きくしていくことに携われたらうれしいなと思います。
【PROFILE】
梅原 孝之(うめはら たかゆき)
1970年、東京都生まれ。日本大学豊山高校を卒業後、旭川大学在学中から水泳コーチとしてのキャリアをスタート。1994年に株式会社ジェイエスエスに入社すると、瀬戸大也選手を小学5年生から指導し、トップスイマーとしての土台を築いたことでも知られる。2016年のリオ五輪、2021年の東京五輪では日本代表のコーチとしてチームを牽引。2024年のパリ五輪では監督として、日本水泳連盟の競泳委員長にも就任した。現在は、ジェイエスエスの営業推進本部副本部長として、指導現場と商品開発・営業の両面からスイミング界を支えている。
設立年月 | 1976年07月 | |
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代表者 | 藤木孝夫 | |
従業員数 | 476人(2025年3月末現在) | |
業務内容 | ・スイミングスクール、テニススクールおよびフィットネスなどスポーツクラブの企画、経営並びに運営管理およびこれらのコンサルタント。
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