スポーツ界の躍動は、私たちに多くの感動と興奮を与えてくれます。しかし、その華やかな舞台を支える人々がどんな思いを抱き、どのように奮闘しているか、その「裏側」にまで目を向ける機会はそう多くありません。
今回の採用ファイルの主人公は、まさにその「見えない部分」に光を当て、人と人、人と夢、人と企業を深く結びつける「繋ぎ手」として活躍する人物です。彼女が手掛ける記事は、単なる情報提供に留まらず、読み手の心に深く響き、スポーツ界の「現実」と「希望」を鮮やかに描き出します。その筆致からは、まるで読者自身がインタビューの場に立ち会っているかのような、温かい共感の輪が広がっていくのを感じるでしょう。彼女の仕事の根底には、「繋ぐことで新たな価値と感謝が生まれる」という思いが垣間見えます。この思いは、一体どのような経験から育まれたのでしょうか。
スポジョバを通じて入社された方のその後を追う企画「スポジョバ採用ファイル」。今回は「スポジョバ編集部」へ入社した中田初葵さんからお話を伺いました。また、その源流を辿り、彼女の仕事の真髄と豊かな人間性に迫ります。
(取材・執筆:伊藤知裕)
スポーツ界にどんな「光」を見出していますか?華々しい舞台の裏側で、どれほどの情熱と努力が注がれているか、想像したことはありますか?そして、その情熱を秘めながら、まだ見ぬ場所へと足を踏み出せない人々がいるとしたら、誰がその背中を押してくれるのでしょう?今回お話を伺った中田初葵さんは、まさにその「光」を引き出し、人と人、人と夢を繋ぎ合わせる「繋ぎ手」です。彼女がスポジョバの編集者として手掛ける記事は、単なる事実の報告を超え、一人ひとりの内面に潜む「思い」や「生き方」の輪郭を鮮やかに浮かび上がらせます。
中田さんが携わる記事からは、読者自身がその人物と対話しているかのような親密さが伝わり、共感の輪が広がっていくのを感じるでしょう。私も実際に彼女の記事を読んでいて、まるで自分がインタビューの場に立ち会っているかのような没入感を覚えることが多々あります。単なる情報の羅列ではなく、そこにはインタビュアーの眼差しと、対象者の心に寄り添う繊細な共感力が息づいているのです。中田さんの活動の根底には、「繋ぐことで新たな価値と感謝が生まれる」という思いが垣間見えます。彼女は、「スポーツ」という情熱の舞台に、「編集」という共感の魔法をかけ、これまで見過ごされてきた無数の輝きに、新たなスポットライトを当て続けているのです。
彼女が自身の仕事について語るとき、特に「取材記事の作成」に強いやりがいを感じると言います。
「自分が『聞きたい』と思ったことをしっかり聞き出せて、それを文字に起こして多くの皆さんに届けていくプロセスが、すごく面白くて好きなんです。」
この言葉の裏には、単なる情報収集に留まらない、対象者への深い興味と敬意が感じられます。彼女にとって、この仕事の魅力は「人との接点があるから」に尽きるそうです。
「単に人と交流すること自体が好きというよりも、『人に興味がある』という感覚が近いかもしれません。誰かの生き方や、仕事への姿勢、そしてその根底にある考え方や感情を聞くことに喜びを感じます。それは、必ずしも相手と個人的に親しくなりたいという欲求とは違って、あくまでその人の『思い』や『生き方』そのものへの純粋な探求心から来ています。」
まさに、中田さんの人間性から生まれる探求心が、記事を通して人々の心を動かす原動力となっているのでしょう。この考え方は、一体どのようにして彼女の中に育まれていったのでしょうか。その始まりは、彼女の小学生時代にありました。
中田さんの「繋ぐ」という根底の価値観の原点は、彼女が小学校6年生だった頃にまで遡ります。
「当時は、上級生が下級生とペアになる『ペア学年』制度があり、私が担当した1年生の子たちが、もう本当に可愛くて可愛くて仕方がなかったんです。毎日、彼らの教室に足を運び、一緒に遊ぶ中で、『この子たちを支えたい、助けてあげたい』という純粋な願いが芽生えました。その時の喜びや充実感が忘れられなくて、卒業文集には迷わず『先生になる』って書いたんです。この『誰かを支えたい、誰かのためになりたい』という思いは、本当に小学校の頃からずっと持ち続けていた、私の根源的な部分ですね。」
この純粋な思いは、その後の教員としての道を歩む中でさらに深まっていきます。中田さんは、30人を超える児童たちと日々向き合いました。そこでは、単に知識を教えるだけでなく、一人ひとりの個性や感情に寄り添い、彼らが「置いていかれる」ことなく、皆で共に成長していくことを目指しました。「教員時代はアナログな作業も多く、多忙な日々だった」と振り返る彼女ですが、その中でも児童一人ひとりの顔”色”を汲み取り、彼らの内面を深く理解しようと努めていたと言います。「この子にはどういう話し方をすればいいのか」といったことを常に意識し、児童たちの感情や意図を読み取り、それに合わせたコミュニケーションを取ることに尽力したのです。これは、単に表面的な情報を受け取るだけでなく、相手の背景や内面にまで思いを馳せる、中田さんならではの姿勢です。この教員経験は、現在の取材にも大きく活きていると彼女は語ります。
「読者や取材対象者に『同調』し、共に理解を深めていくような対話的なアプローチを無意識のうちに取っているのは、この教員時代の経験、そして『一人ひとりを置いていかない』という考えが根底にあるからだと思います」
と中田さんは自己分析します。
「『自分と同じ思いをしている人がいるんじゃないか』という視点で記事を書くことも多いです。例えば、『プロチームだけがスポーツ業界だと思っている人』や『スポーツ業界についてよく知らないけれど、働きたいと思っている人』に共感してもらえるような書き方を意識しています。」
これは、彼女が小学校6年生の頃から抱いてきた「人(の人生)に関わりたい」という根源的な思いが、現在の記事制作スタイルを形作っていることを示唆していると感じます。しかし、この「共に歩む」という姿勢は、最初からあったわけではありません。中田さんの「葛藤」とも呼べる経験が、大学生時代の部活動にあったと教えてくれました。
「私は当時、勝利を目指し、仲間を鼓舞して引っ張っていくことに力を注いでいたんです。しかし、その中で目標に向かってひた走る私たちについて来られない仲間がいること、そして途中で部活動を辞めてしまう人がいることに気づかされたんです。次第に『単に先頭を走るだけでは、全員を巻き込むことはできないのではないか?』という問いを自分自身に投げかけるようになりました。この経験が、私に単なる牽引役ではなく、個々に寄り添い、共に歩む『協調』の重要性を強く意識させるきっかけとなりました。」
この気づきは、彼女の人間性をさらに深め、多様な個性やペースを持つ人々との関わり方において、より柔軟な姿勢を身につけさせたのではないでしょうか。教員としての経験は、この「協調」の哲学をさらに実践的に深め、多様な個性を持つ子どもたちを「並走」させるための具体的なアプローチと、柔軟なコミュニケーション能力を育んでくれたのです。この「共に歩む」という彼女の哲学は、どのようにスポーツと関わることになり、新たなキャリアを築くことになったのでしょうか。
中田さんのキャリアパスは、自身の深い「好き」と、仕事として「関わる」ことの間に、独自の絶妙な距離感を保つことによって形成されました。社会人4年目、新型コロナウイルスが落ち着き始めた頃、彼女はキャリアについて思い悩んでいました。そんな彼女を救い、新たな道へと導いてくれたのは、Bリーグのバスケットボール観戦でした。
「たまたま手に入れたチケットで観戦した試合をきっかけに、再びバスケの世界に深く没入していったんです。それは、かつてラクロスに打ち込み、『勝ち』の興奮を求めていた頃の情熱が、形を変えて再燃した瞬間でもありました。私にとって、試合の『勝ち負け』は、自身の人生の刺激となり、良いエッセンスとなっています。応援するチームが勝てば喜び、負ければ落ち込み、翌日の月曜日に影響を与えるほど、チームへの思い入れは深いですね。」
バスケは単なる趣味の延長ではなく、「もうなくてはならないもの」、人生を突き動かすほどの「好き」という感情が凝縮された領域となっていると言います。教員としての節目を迎え、新しい道を模索する中で、自身の生活の多くを占めていたバスケ、ひいてはスポーツ業界への転職を考え始めました。しかし、ここで中田さんは独自の「バランス感覚」を発揮します。
「もしプロチームの『中の人』になってしまったら、純粋に応援できなくなるかもしれない、好きなものが嫌いになってしまうかもしれない――。そんな葛藤を母親とも話していましたね。」
その懸念から、彼女は「スポーツ」と自身の根底にある「人への興味」を両立できる道を探しました。そこで出会ったのが、スポジョバの「編集」という役割でした。スポジョバの取材記事を通じて、プロスポーツチームだけでなく、地域スポーツや様々なスポーツ関連の仕事、そしてその中で奮闘する人々の「現実」を伝えていることを知ったのです。
「特にスポジョバ採用ファイルのある記事に強く共感し、プロチームに限定しなくても、スポーツ業界に関わる方法はたくさんあるのだという新たな視点を得ました。」
と彼女は言います。ここにこそ、自身の「人に深く関わる」という思いと、「スポーツ」への情熱を融合させる理想の形があると感じたようです。入社前は、華やかな雑誌編集のイメージを抱いていましたが、実際にはPV数や応募者属性といった数値分析やマーケティングの側面もあり、当初はギャップを感じたそうです。しかし、少数精鋭の編集部で自分の裁量で仕事を進められる自由な環境には喜びを感じていると語ります。そこから、彼女の「編集」という領域における「繋ぐ」役割を具体化させていきました。
「私が『中田』らしさを出すことで編集部が安定的に機能しながらも、その都度良い意味で色が変化してきたのではないかと推測しています。」
最も大きな変化は、「営業と編集が同じ目線で取り組むようになった」ことだと彼女は言います。
「以前は営業からの依頼を受ける側という位置づけが強かったのですが、今では編集部側から営業に積極的に働きかけることも増えました。スポジョバの事業においてより一層、編集部が大事なポジションになっていけたら嬉しいです。」
この変化は、編集部が単なるコンテンツ制作部門としてではなく、事業目標達成に貢献する戦略的なパートナーとしての役割を担うようになったことを示唆していると私は感じました。
スポーツ業界に足を踏み入れ、多くの企業と関わる中で、中田さんはその「大変さ」や「課題」を肌で感じるようになりました。かつての「キラキラした世界」という印象だけでなく、その「影」の部分にも深く向き合うようになったのです。「本当に大勢の企業が課題を抱え、困っているんだなと、痛いほど分かるようになりました」と率直な感想を語ってくれました。しかし、だからこそ彼女は、自らが「架け橋」となることの重要性を強く感じています。
「困っている企業には、真に求めている人財を届けたいんです。それは、単に求人を掲載するだけでなく、企業が求める人物像を深く理解し、その魅力を余すことなく伝える記事を作成することで、求職者の心に響く『出会い』を創出することだと思っています」
彼女は企業を単なる「塊」として捉えるのではなく、まるで「ひとりの人」のように、その企業固有の「色」や「理念」を深く理解し、それらを丁寧に求職者へと繋ぐと言います。この「繋ぐ」というプロセスは、彼女が教員時代に培った「共感」と「並走」の姿勢そのものです。
中田さんは、現状では「困っている企業さんに採用が生まれる嬉しさの方が大きい」と答えましたが、これは企業を「ひとりの人」として捉え、その内面を知ろうとする彼女の姿勢があるからこそできることでしょう。私も、彼女のこのような思考プロセスが、単なる教員経験だけでなく、小学校6年生の頃から抱いてきた「誰かの人生に関わりたい」という根源的な思いが、現在の記事制作スタイルを形作っているのだと強く感じました。中田さんの記事に垣間見えるこの「自己主張」は、私から見ても、「読者を飽きさせない魅力」となっています。スポジョバの既存の記事スタイルにはなかった新しい「色」を、中田さんが加わったことで媒体に持ち込んだとも言えるでしょう。これは、単なる記事の質の向上に留まらず、スポジョバという媒体そのものの特徴と価値を高めることに貢献しています。
中田さんが描く未来は、スポーツという共通言語を通して、人と人、人と企業、そして人と夢が、互いに支え合い、共に歩んでいく、そんな温かい「繋がり」のストーリーです。彼女の根底には「人とかかわる仕事は、ずっと続けられるといいな」という願いがあります。それは、単にスポーツへの情熱だけでなく、その奥にある「人の心」に触れ、その輝きを最大限に引き出すことへの喜びがあるからです。
中田初葵さんの仕事は、単に情報を編集するだけではありません。それは、スポーツへの情熱を共有する「人」と「人」を繋ぎ、それぞれの物語が織りなす「感動」を未来へと紡いでいく、そんな希望に満ちた挑戦であり、彼女自身の豊かな人間性が生み出す「共感の輪」なのです。彼女のキャリアパスは、自身の深い「好き」と、仕事として「関わる」ことの間に、独自の絶妙な距離感を保つことによって形成されました。この姿勢こそが、彼女を唯一無二の「繋ぎ手」として輝かせているのではないでしょうか。
【PROFILE】
中田 初葵(なかた はつき)
マイブームは、Bリーグ観戦。テレビで観戦するよりも現地派で、カメラを手にとり名古屋まで足しげく通っている。
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