今回のインタビュー対象はキャンプ場の運営などを行うピカの人事部に所属する吉田さん。パラリンピックにも出場したことのある吉田さんですが、元々はアウトドアが大嫌いでした。しかし、会社から提示してもらった選択肢から、様々な道が開けていくことに。その根底にあるのは企業理念が吉田さんへ浸透していったからこそ生まれたのかもしれません。法人だけでも個人だけでも存在しえなかったことが、二つが結びついたことに価値がうまれたとも言えるかもしれません。吉田さんの会社での変遷を伺いながら、ピカという会社が周囲に与える影響についてお聞きしました。
(取材・執筆:小林 千絵、編集:伊藤 知裕、中田 初葵)
―――吉田さんはクライミングで世界選手権に出場した経験もあるとのことですが、まずは吉田さんのスポーツ遍歴から教えてもらっても良いでしょうか?
はい。ロッククライミングのほかに、中高生のときは部活で計6年間陸上をやっていました。大学に入ってからはヒップホップを始めとするダンスを趣味程度で3〜4年やっていました。長続きはしなかったですが、水泳や体操を習っていた時期もありましたし、子どもの頃から比較的スポーツには親しみがありました。
―――ちなみに陸上部では何の競技を?
短距離です。そもそも陸上部に入ったきっかけを話すと……私は生まれつき左半身に運動機能障害があるんです。だからリハビリを兼ねて、親がとにかく運動をさせようと習い事をいろいろやらせていて。そのおかげで、足に関しては健常者と変わらないくらいの機能になったこともあって、走ることが好きになって陸上部に入りました。元々は長距離が好きだったんですけど、短距離をやってみたら自分の性格に合っていたようで、6年続けちゃいました。
―――そうだったんですね。今のところクライミングが出てこないですが…クライミングは学生時代からやられていたわけではないのですか?
はい、全く。クライミングって人工のカラフルな壁を登るイメージがあると思うんですが、そもそもはロッククライミングといって野外の岩場を登る登山の一種。でも昔の私はアウトドアが大嫌いで。今、この会社で働いているのに失礼なんですが、昔はキャンプも大嫌いだったんです。虫もいるし、寒いし、焚き火は臭いし、汚れるし。だからクライミングも全く縁もなかったし、始めようと思うきっかけもありませんでした。
―――では、どうして始めたのでしょうか?
当時、富士急行に勤めていて、ピカに出向していたんです。飲食物販の副店長をしていたのですが、そこで一緒に働いていた方に「最近運動不足で、何か始めたいと思っている。もともとスポーツをやっていたんだけど、就職してから離れちゃって」という話をしたら、「ボルタリングの施設が近くにあるから行ってみないか」と誘ってくれて行ったのが始まりです。
―――クライミングとの出会いが、まさにピカ出向中だったということですが、改めて吉田さんがピカに就職することになった経緯を教えてください。
ピカに転籍したのもクライミングのためなんです。もともと働いていた会社は本社が東京で、地方に支社があり異動も多かった。ちょうど出向で山梨に来ているときにクライミングを始めて、本格的にクライミングをやっていきたいと思ったので、山梨から移動したくないなと思うようになりました。そこで、最初は山梨県内の別の会社を探そうと思っていたのですが、ピカに相談したら、富士吉田に残ってアスリート活動をするなら、ピカに籍を移したらどうかと言ってくれて転籍することに決めました。
―――もともとキャンプやアウトドアに興味がなかった……というか、むしろ大嫌いだったということですが(笑)、最初ピカに出向することが決まったときはどう思いましたか?
富士急行に入社すると必ずグループ会社への出向があるのですが、そのときも私はピカを希望していたわけではなくて。正直、ピカに対して特別な思い入れがあったわけでもなかったんですね。グループ会社として知っていたくらいで。だから最初は何も思わなかったです。
―――出向当時、飲食物販の副店長をされていたということですが、具体的にはどういったお仕事をされていたのでしょうか?
道の駅を運営している事業所の管理者をしていました。シフトを作ったり、商品のラインナップを変えたり。いわゆる小売業の現場の仕事ですね。
―――そのときのお仕事はどういったところにやりがいや面白みを感じていましたか?
飲食や物販って、自分が取り組んだ販売促進が売上に直結するんですよ。自分が考えた企画をきっかけに売り上げが伸びれば成功だし、売り上げが伸びないとか集客ができなければ失敗だったねということになる。自分の工夫が数字に現れることが面白かったし、そこにやりがいを感じていました。
―――転籍後、業務内容は変わりましたか?
その後、「クライミングをやるなら、クライミングを活かした仕事ができるアウトドアのほうに行きなよ」と言われて、キャンプ場の運営へ異動になりました。クライミングを始めたことで、キャンプやアウトドアが大好きになっていたので(笑)、それを活かしてキャンプ場のお客様の対応などをしながら、子供達に火おこしの仕方やナイフの使い方などを教えるイベントを企画・実施したり、これからキャンプを楽しんでいただく方に楽しさや危険さを教えるイベントなどを企画したりしていました。
―――アウトドアやキャンプにまつわるイベントのアイデアは、どのようなところから考えていたのですか?
ピカでは、不便さを排除したグランピング施設の事業展開もしていますが、その一方で、クラシカルなキャンプも原点として売り出していたので、私も原点回帰してみたんです。そうすると、今の小さい子たちって、なるべく危ないものに触れない環境にいるなと思って。火はコンロの火しか見たことがなくて、刃物を下手に扱うと手が切れちゃうとかそういうことを認識する機会がない。そういうことを学んでもらうには、キャンプをしながら触れてもらうのが良いんじゃないかと思って企画しました。実際にナイフの使い方を教えたあと、イベントが終わってから手を切ってしまった子がいたんです。でも親御さんも「こうやって使うと血が出るんだよ」と教えていて。
―――そして現在は人事部にいらっしゃると。吉田さんの経歴だけ伺っても様々なことに携わられている印象があるのですが、改めてピカが行っている事業内容というと、どのようなものになるのでしょうか?
ピカの事業としては全部で三つ。アウトドア、飲食物販、アミューズメントです。飲食は主にお土産屋さんの運営やキャンプ場・グランピング施設に併設されているレストランの運営。アウトドアは、コテージやドーム型のラグジュアリーなテントなどグランピング施設の経営から、ベーシックなキャンプ場の運営まで行っています。アミューズメントは、遊園地やスキー場、日帰りの温泉施設などの運営です。
―――ピカでは、吉田さんのようなスポーツ経験者やアウトドア好きの方も多く活躍していると伺いました。スポーツ経験者やスポーツ・アウトドア好きな方が御社で活躍しやすいのはどうしてだと感じますか?
「こういう趣味や特技があるなら、これやってみたらいいじゃん」って、結構なんでもやらせてもらえる器の広さがピカにあるからでしょうか。例えばスノーボードの選手をしていた方は、スクールで指導したり、ご自身のコネクションを使ってイベントにプロのスノーボーダーを呼んだり。直近で言うと、今年の春に、ロードバイクが趣味だという方が入社してきたんですが、その方は弊社のキャンプ場の周りをロードバイクで周遊するようなイベントを企画したいと言って入社してきました。まだ実現はできていませんが、そういうアウトドアの趣味やスポーツ経験などを活かしてやりたい企画がある方は特に活躍できるんじゃないかなと思います。
―――実際に吉田さんが、クライミングやご自身のスポーツ経験が活きたと思った瞬間はありますか?
コロナ禍で私自身があまり大会に出られなかった時期に、静岡県の裾野市にある「ぐりんぱ」という遊園地に、ボルダリングのウォールを作らせてもらいました。そこには私も選手として行って、子どもたちに指導もしました。
―――まさに吉田さんにしかできない企画ですね。
はい。ずっとクライミングの経験を活かしたいとは思っていたんですけど、施設を作るというのはお金もかかることだから、自分からは言えなくて。でも「コロナ禍で自分のクライミングの活動もできなくて……」と会社に相談したら「やってみたら?」と提案してもらえたんです。すごくありがたかったですね。今は、山梨県外でも弊社の施設にクライミングウォールを作る話が進んでいます。
―――御社の企業理念は『人と人、人と自然のインターフェースになる』。この言葉に込められている想いを、実際に働いている吉田さんの解釈で教えてください。
「人と人」に関しては、我々従業員とお客様だったり、お客様と地域の人だったり、お客様同士だったり、我々の運営する場所に来てくださるお客様に対して、さまざまな関わりを持つ人をつなぐ存在でありたいという意味があって。ただキャンプに来て、そのお客様だけで完結するのではなくて、キャンプ場に来て、我々スタッフと会話をして発見をしたり楽しさが生まれたり、お客様同士が接点を持ってより楽しい時間を過ごしていただきたいと思って従業員一同、従事しております。
―――なるほど。
また、キャンプ場というのは自然の一部を間借りして運営しているもの。我々だけがその自然の恩恵を受けて売り上げを上げるだけじゃいけないんです。我々だけでなく、その地域の人にも豊かになっていただきたい。だからこそ、お客様と地域の人々をつなげる架け橋にもなろうという想いで「人と人のインターフェース」を目指しています。そこから、弊社のある富士吉田という自然豊かな場所もお客様と結びつける存在でありたい。それが「人と自然」です。
―――吉田さんが働いている中で、この企業理念を思い出す瞬間や実感した瞬間があれば教えてください。
お客様同士が、もともとは全くの他人だったのに、キャンプ場で知り合って仲良くなって、1年後には一緒にキャンプに来てくれたことがあって。それはうれしかったですね。あとはキャンプ場にいた頃、リピーターで来てくださっていたお客様が私のことを覚えてくれていたんですが、私はその後、人事部に行ってしまっていて。たまたま新卒の子を連れて自分がかつていたキャンプ場に見学にいったときに、そのお客さんがいらっしゃって再会できたのもうれしかったです。
―――素敵なエピソードですね。
当社のキャンプ場は、ハンドクラフトや地場産業をしている方を集めて、縁日やクリスマスマーケットを開催することもあります。そうやって地元の企業の方や商店の方と一緒にイベントをしていると、地域とのつながりは非常に感じますね。また、そういうイベントを通して出会った地元の商店や夏祭りに、プライベートで出向いている社員もいて。そういう話を聞くと、地域に根付いている会社だなと感じますね。自然の中で楽しむことを提供している会社だからこそ、周りにいる人たちを巻き込むことで仕事もしやすくなるし、周りの方々も「ピカさんがいるから」という気持ちでやってくださる。こうやって良い関係が築けていくんだろうなと感じます。
―――最後に、御社の今後のビジョンや予定している展開を教えてください。
コロナ禍で、山梨県内にもたくさんのグランピング施設ができました。今はそこから競合他社との差別化を図るために、今一度ピカというブランドを見直そうということで、社内でリブランディングの活動をしています。“ピカで提供するキャンプって何だろう”、“ピカが提供するグランピングは他とは何が違うんだろう”ということを、アウトドア事業部全体で考え直しているところです。
―――リブランディングが完成したあとには、どのようなことが待っていそうですか?
リブランディングを終えたあとには、ピカにしかできない遊びの提案ができるようになるんじゃないかなと思います。私たちは、キャンプやアウトドアを通して楽しさや喜びを提案する会社。だからこそ、ピカとしてのブランディングがしっかり固まったら、また新しい遊びや次の楽しさを作っていきたいと考えています。
―――ちなみに、吉田さんとしての今後の展望はありますか?
私はまずクライミングで2028年のロサンゼルスパラリンピック出場を目指して、代表権を得るために大会に出て実績を積む予定です。仕事では、社会保険労務士の資格が欲しいなと思って勉強をしているところです。
―――クライミングもしながら、お仕事もして、さらに勉強も!
子どもも生まれて1歳ちょっとだし、欲張りかなとも思うんですが、せっかく人事に異動してきて楽しく働いているので、だったら労務の仕事のプロフェッショナルを目指したいなと。アスリートを引退したあとのセカンドキャリアのことも考えると、お世話になった会社にクライミング以外でも返せるものを作っておきたいです。
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【PROFILE】
吉田 桃子(よしだ ももこ)
孔脳症により生まれつき左半身に運動機能の障害があり、リハビリも兼ねて幼いころから陸上やダンス等様々なスポーツを経験。その後社会人になってからクライミングを始め、パラクライミング世界選手権にも出場。昨年、中断していたアスリート活動を再開し、2028年のロサンゼルスパラリンピックを目指している。
設立年月 | 2001年02月 | |
---|---|---|
代表者 | 天野克宏 | |
従業員数 | 142名(2022(令和4)年10月現在)他にパート・アルバイト92名 | |
業務内容 | アウトドア宿泊施設の運営およびコンサルタント
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