遠回りしたからこそ気づいた、元Jリーガーが語る夢の作り方〜これからはサッカー少年たちのために〜【後編】

NUMBER39/エストレーラFC 菅野将太

遠回りしたからこそ気づいた、元Jリーガーが語る夢の作り方〜これからはサッカー少年たちのために〜【後編】

NUMBER39/エストレーラFC 菅野将太

「子どもたちには、夢を諦めないこと、続けること、成長し続けることを大切にしてほしい」

元Jリーガーであり、現在はサッカーコーチをされている菅野将太さんは、取材中に何度もこの言葉を口にしていました。お話を伺っていくと、何度も挫折を経験したけれど、夢のJの舞台に立てたという素晴らしいストーリーが。ただ、その道のりは決して簡単なものではなく……

さてあなたは、どのくらい本気で夢を追いかけていますか?

「今が最終地点じゃなくてもいい。その目標、遠回りしてでも掴んでほしい。その先に見えるものがある」と菅野さんは語ります。前編では「僕は非常に遠回りをしてJリーグの舞台に立てたから」と話す彼の、選手引退までのお話をご紹介しました。後編では、引退後のキャリアについて迫ります。最終的に菅野さんが目指した道は?最大の価値観は?彼の出した結論とは……??

(取材:構成=スポジョバ編集部 小林亘)


終わりは始まり。ついに歩みだした"指導者"の道

__菅野さん引き続きよろしくお願いします!後編では"指導者"というキャリアにスポットを当ててお話を伺えれば。早速ですけど、引退後のキャリアのスタートは、どんな形だったんですか?

菅野:よろしくお願いします!これまたラッキーではあるんですけれど、父の知り合いが町田ゼルビアの関係者とつながりで「若くて動ける指導者を探してる」とお話をいただいて。富山でもスクールコーチの話はもらっていたんですけれど、やっぱりもうちょっと上の学年を見たいな。できれば目標がちゃんと定まっているような中高生を指導したいと思っていたので、町田を選んで指導を始めたって形ですね。

__実際、これまではずっとプレーに集中してきたと思うので、指導者としては初めてのお仕事だったわけですよね。最初の頃、大変だったんじゃないですか?プレーすることと指導することって全然違うじゃないですか。

菅野:そうですね。まぁ上手くいかない指導者の例として「自分ならこうできる」とか「自分がこういう練習をしてきたから、同じようにやれば上手くなる」ということを良く聞くじゃないですか。僕、そういうの全くなくて。そもそも根本的に上手くないので(笑)。その上手くない子をどうにかしてあげたいっていう気持ちしかなかったんですよ。このときから、最終的には伸び盛りな中学生を最終的に見たいなって思っていたんですけれど、だからこそむしろできるようになったときの楽しさとか喜びのほうが強くて、始めてから数日後には「この仕事最高だな」って思ったのを覚えています。それで6年間指導をしていましたね。高校生も中学生も一通り全学年見て。そのあと、富山のときに一緒にプレーしていた長山さんが法政大学で監督をやっていて「ちょっと手伝ってくれ」という話で、大学生も見るようになったんです。

__中高生ならベテラン指導者になりつつあったタイミングで大学生を教えられたんですね。法政大学ってサッカー強いですよね?結構レベルの高い選手が多かったと思うんですが、これまでの指導とは大きく違ったんじゃないですか?

菅野:仰る通りです。法政大学のサッカー部は、Jリーガーがバンバン輩出されているような部活で。私としては、自分の実力がどこまで通用するかっていうのを試してみたくて入ったのもあります。それに、中高生だけ見ていてもダメだな。もっと上の世界を見ないと、下の世代の子たちを上達させられないなって。中学生のとき、高校生のときにどんなことが必要かっていうのを、大学生から学びたいなって気持ちが強くてですね。2年くらいゼルビアと法政大学を掛け持ちしていたんですが、お世話になったゼルビアを辞めて、法政大学1本で働き始めました。正直自分のステータスを考えたら、絶対に町田ゼルビアにいたほうが、Jクラブなのでライセンスも取りやすいしトップチームにも導けるからメリットは大きいんですけれど、それよりも自分の指導のキャパを広げたいって思いで法政に。そうしたら丁度そのタイミングで法政二高の話もいただいたんです。その話をもらったのが、今所属しているNUMER39の代表、佐久間なんですけどね。

__細かい話で恐縮ですが、それまでは個人契約というか、フリーで指導をされていた、ということですか?それともチームに所属していたんですか?

菅野:個人契約です。ですから、NUMBER39が僕にとって初めて1つの会社に所属するという経験でした。やっぱり、個人契約って社会保障も薄いですし、いつ切られるかわからない不安も大きかったんです。で、NUMBER39の話をすると、コーチの世界ってすごく厳しくて。給料も安いですし、若いコーチもある程度年齢いっちゃうと給料が上がりにくいから辞めちゃうような。そういうサイクルがちょっとあって。「その流れを変えたい」っていうのがコンセプトなんですね。結婚して子どもが生まれても、指導者として飯を食っていけるような会社・組織、そして業界にしたいっていう佐久間の想いがあって。それに自分も賛同したからこそ「ウチに来ない?」って言ってもらえて。だから自分も、子どもたちだけではなく若い指導者の育成とか、少しでも長くサッカーに携われる人を増やせたらなって、会社に入ってから強く思うようになっていったんです。





「結局自分は、中学生が見たい」敢えて険しい道を選んだ理由は……?

__サッカーだけに留まらない話でもあるな~と思います。NUMBER39に入ってから、菅野さんの働き方にも変化って結構あったんですか?

菅野:ありましたね。当社は「ウチのチームを指導してほしい」ってオーダーをいただいた所に指導していく形を取っているので、週1回のチームもあればどっぷり漬かれるチームまでさまざまな関わり方ができるのが魅力です。そこに若い指導者を派遣させてもらって、長く指導者を続けられるようにしているんですが、私の場合は法政二高が始まりで、そのあとエストレーラFCっていう中学生の街クラブの再建の依頼をいただけたんですよね。ついに自分の目標を叶えられるタイミングかなと思って、法政大学を辞めて、2つのチームを持つようになったって形です。先ほどもお伝えした通りやっぱり自分は、一番伸び盛りと言われている中学生が見たいんですよ。自分が中学生の頃、骨腫瘍でほぼ棒に振ってしまったこともあって、中学生には思い入れといいますか、ありまして。

__法政大学でトッププレイヤーたちを指導した経験を、ついに落とし込めるタイミングが来たわけですね!夢にまで見た瞬間だと思うので、すごく楽しいんじゃないですか?

菅野:とはいえ、やっぱり中学生は多感な時期じゃないですか(笑)。反抗期だったりあるので、指導も結構難しいんですよ(笑)。その辺りはすごく考えますね。でも、自分でも本当に変わったなって思います。選手のときはあんなに自分のことばっかり考えていたのに、今は選手たちのことを考えて日々過ごしていて「こう伝えたほうがよかったかな」とか。それなので、今もまだまだ勉強中ではあります。それで去年ですかね。ありがたいことにエストレーラFCの奥村代表から「ウチ専属でお願いできませんか?」というお話をいただいて、選手と指導者の両方を教えるということで、法政二高を辞めてエストレーラ1本でやるようになって、現在に至るっていう形です。

__日々、菅野さんが悩みながら、でもしっかり子どもたちを見て高いレベルで指導してきたからこそ、そのお話をいただけたと思います。とはいえ、言ってしまえばNUMBER39さんって、各チームから見るといわゆる外部コーチ的な立ち位置になると思うので、その辺りの立ち回りも難しいのかな……と聞いてて思ってしまいまして。その辺りっていかがでしょう?

菅野:NUMBER39のコンセプトを先ほどお話しましたけれど、やっぱり指導者を変えるのは難しいです。仰る通り、外部から来た人がガラッと変えるってなかなかじゃないですか(笑)。今までのゼルビア、法政大学、法政二高はそれができなかったのは多少悔しい想いをしたところはあります。ただ、そんな中でも評価いただけたり、エストレーラFCのように全部任せていただけたりしたのは、ここ最近ようやくかもしれません。今はもともとエストレーラにいたコーチたちの指導も含めて担当させていただいてるんですが、教えることで選手以上に喜んでいただけることも多いんですよ。だからこそ、非常に大きなやりがいを感じてもいまして。

__それめちゃめちゃ良いですね!つまるところ、菅野さんの人柄に起因する部分もあると思います。そこでぜひお伺いしたいんですけれど、菅野さんが指導のときに大切にしていること、子どもたちにも大人にもですけど、教えるときにどんなことを意識して物事を伝えているんですか?

菅野:よく私が言ってるは「成長する」ということです。これは常に選手に求めていて。できるできない、上手いヘタとかではなくて、その選手自身が毎日練習の中で何かしらに挑戦して、少しでも「これ上手くなろう」って意識しているかどうか。指導者には、ここを見ることが大切だってことはよく伝えています。でもそれに気づいたのは法政大学で教えてたときの選手の言葉だったんです。林遼太っていう子がいて、今、海外でプレーしているんですが。彼は大学でBチームだったんです。Bチームなので、なかなかモチベーションも上がらない。大学生なので見切りをつけて辞めようとしていたらしいんですけど、私が練習前に「自分と向き合て、今日の練習で少しでも上手くなろう」って伝えたみたいで。彼が卒業するときに、それを私に言ってくれたんですよ。その言葉に救われましたって。全く意識していなかったんですけど、やっぱり彼からすると当然結果も評価も気にしたと思うんですが、それよりも日々努力して成長する姿勢を見てくれたってことが嬉しかったみたいで。それが、今の自分のベースになっているんです。大切なことは、子どもたちが教えてくれました。





やりたいことはボトムアップ。プレイヤーも指導者も、そもそも業界も。全部良くしていきたいから。

__いわゆる結果重視ではなくプロセス重視の指導ですね!それがなかったら、林さんは今頃海外に行けてなかったかもしれませんし。ちなみに、プロセス重視の指導だと、小さいことでも褒めるとか、菅野さんの普段の指導方法についても伺えますか?

菅野:当然、最終的な大きい目標と言いますか、例えばレギュラーを目指すとか夢を持つことが大事ってことは言います。とはいえですよ、毎日上手くなれるわけないじゃないですか。日々上手くいかないことの方が多いと思うんです。だからこそ「昨日はこうだったけど、今日はこれができるようになったね」っていう伝え方だけは意識しています。褒めるっていうのも、ただ何か良いプレーが出たから褒めるのではなくて、こういうことをトライして、失敗しちゃったとしても挑戦してこんな発見があったからよかったねって。そういう部分は見逃さないように指導はしています。だから僕の中で、AチームとかBチームとか、強豪校とか弱小校とか関係ないんです。同じ人間。同じ中高生だから、やっぱりフラットに選手を見て、彼らが昨日よりチャレンジしてるかどうかを見ていますかね。

__全指導者がそうではないと思うんですが、やっぱり上手くいってる子が良く見えて「いいね」ってなりがちかなって思っていて。そうではなくて、菅野さんの視点はすごく大切だと思います。でもこの感覚を、菅野さんは若手指導者に対してどのように伝えているんですか?

菅野:その通りで、やっぱり指導者を始めたての頃は、これに全く気付かないんですよね。プレーが上手くいったかどうかに目が行きがちで。ですから、1人ひとりに向き合う視野を持つことが大切だよって最初は伝えています。今の時代、サッカーの指導方法なんてネットを見れば一発じゃないですか。練習メニューも指導方法もいくらでも学べる時代なので、教えることではなくて選手の頑張りを見てあげることが大切って話は必ず伝えます。この前、OBの子にその話を聞いたときも「自分が考えて挑戦したことを褒めてもらえたのが嬉しかったです」って言ってくれて。本当、指導者冥利に尽きるなって。その子もAチームではなかったので、あのときは嬉しかったなぁ。

__やっぱり菅野さんは、そこまで伸び切ってない子を、どうやったら伸びるかって所を大切にされているんですね。お話を聞いていてひしひしと感じます。悩んでいる子やプロになれない子のほうが、圧倒的に多いですからね。

菅野:言い方悪いですけど、プロになる子って勝手になるんですよ(笑)。でも一方、仰る通りプロになれない子が多いじゃないですか。でもやっぱり今のサッカー界って、大学も高校も中学の街クラブも基本大所帯なんですよ。エストレーラFCでも1学年に30人近くいて。となると、やっぱり出られる子って限られてきちゃう。試合に出ている人数の3倍くらいの選手がベンチに座ってるんです。だからこそ、指導者としてはそのベンチの子たちにどう向き合って、練習試合組んだりとかスケジューリングしたりとか、そういう風にしないといけない。確かに体力的にはキツい部分もあるかもしれませんけれど、変えていきたい現状です。Aチームの試合が終わって「おしまい」じゃなくて。むしろAチームは任せて、Bチーム以降の練習試合のときに、熱を増してコーチングできるような指導者になりたいし、そういう風にサッカー界を変えていきたいって気持ちです。これが今の、将来の僕の目標の1つでもあるんです。

__前編で「Jリーグのピッチに立ってすごい景色だったから、それを子どもたちに伝えたい」という話があったので、てっきりプロのアスリートを多く輩出したい方なのかなって思ってたんですが、真逆ですね(笑)。とはいえスポットが当たりにくい子たちにスポットを当てたいというのは、菅野さんが苦労してきたからこそ思うんだろうなとも思います。

菅野:もちろん、Jに行けるか行けないかの境目にいる選手には当然、背中を押したりしますよ。Jリーガーを輩出したいって気持ちはもちろんあります。でも、サッカーだけが人生じゃないんで。サッカー以外でも続けていった矢先に、何か幸せが訪れるんだっていうことを、サッカーを選んでくれた子どもたちには伝えたい。僕はサッカーを続けたから、その幸運がサッカーで訪れただけで、サッカー以外でも必ず続けていくことで幸せを感じられると思うんです。だからこそ、どんな年齢になったとしても、そのとき夢見たピッチに立てるように頑張ってほしいなって。僕が教えたことを通じて、自分で自分をプロセス重視に見ることができて、前向きな人間になってほしいなって。そう思いながら、これまでもこれからも、指導していきたい気持ちです。





サッカーが大好きなあなたへ

__中高生が菅野さんの指導を受けて、将来的に壁にぶち当たったときに「菅野コーチがこういうこと言ってたな」「こういう風にトライしたら次はいけるかな」とか、また挑戦できるような心になってるんじゃないかなって、すごく思います。

菅野:まさにそこが一番大事です!だからこそ合宿とかミーティングのときに、私の経験を中学生には話します。大学時代の話も、漁港でバイトした経験も。でも最後はJの舞台に立てたって話も。だから、みんなと変わらないんだよって。元Jリーガーですごいみたいに思われてしまうんですけど、全然そんなことない。街クラブのみんなにも可能性は十分あるって伝えます。でも、今の時代だからこそ、子どもたちは情報過多なんですよ。隣町のクラブのプレーまで映像で見えるじゃないですか。だから「俺はダメだ」「到底かなわない」って見切りをつけやすい。でも、本当に中学生なんてこれから体格も変わるし、ひっくり返る可能性なんて全然あるよってことは、伝え続けていますね。

__そっか、そうですよね。最近の子たちはそういう情報の取り方をするんですね。すごい時代ですね……。ちなみに菅野さん、言葉以外にどんな方法で、子どもたちに伝えているんですか?

菅野:ちょうどこの前、町田ゼルビアと練習試合を組めたんですよ。まぁ、客観的に見たらJクラブのチームですから、ウチみたいな街クラブとは土俵が違うんですよね。でも私は全然やれると思っていて。「春休みにJクラブと試合組めたぞ~!」って言ったら「コーチ、なんでJクラブと組んだんですか」って言われちゃって(笑)。「よっしゃー!」じゃないの?って思っちゃったんですけど(笑)。「でも同じ中学生なんだからやれるよ」って伝えて、いざ本番0-4だったんです。強豪チーム相手だったら10点、20点とか、もっとやられそうなイメージなんですが、終わって聞いてみたら「コーチ、意外とやれました」みたいなこと言ってくれて。ただ、やっぱり意識の差はあるから、そこは埋めていこうね。なんて話して。実体験しながら、そういう夢を現実的なものにしてもらいたいなって思ってます。そういう意味では、中学生は本当に素直で面白いですよ。彼らも絶対、続けていれば夢は叶えられますから。

__敢えて格上と思えるチームと練習試合をする。負けてもプラス思考に考えられる。めちゃめちゃ良い成功体験ですね!菅野さんのような指導者が、少しでも増えていくと良いなと強く思いますが、それも菅野さんの今後の目標の1つですか?

菅野:そうですね!NUMBER39で若いコーチをいっぱい抱えているので、まずは彼らの教育から。その輪を広げて、もっと若い子を増やして、指導の楽しさとかイロハを伝えて、サッカー業界を盛り上げていきたいです。育ってくれたら、いろんなクラブに飛んで行って、ラーメン屋じゃないですけど"のれん分け"みたいな形で「39の指導者っていいよね」って、どこ行っても言ってもらえるような、そんな会社にしたいし、そういう人間を増やしていきたいです。それが日本サッカーの発展には、間違いなくつながると思うので!

__サッカー業界への貢献はもちろん、子どもたちへの関わり方、指導の魅力、そしてプロセス重視で自分を認めてあげる。続けていれば夢は叶う。色んな良いキーワードがたっくさん出ました。次がいよいよ最後の質問なんですけれど、これから「コーチ」という仕事に就きたいと考える若者に、菅野さんから一言メッセージ、いただけませんか?

菅野:やっぱり、子どもたちと一緒に成長していきたいとか、一緒に楽しみたいっていう気持ちを持つことがまずは大切だと思います。それに、そこに喜びがあるっていうことを、ぜひ感じてもらいたい。やっぱり選手、子どもたちの成長がすごい喜び・生きがいになる職業だと思っていますし、且つ自分の好きなサッカーを教えられるっていうのはすごく幸せなことだと思うんです。その喜びをかみしめながら、一緒に成長していくのが大事だと思います。あとはやっぱり、夢とか極めたいことに向かって突き進んでほしい。私でもJリーガーになれたので、続けていれば夢は叶うと思うんです。引退して、次の夢に向かって私も頑張っていますから、これからコーチを目指す方には、一緒に頑張りましょう、業界をもっと盛り上げましょうって、お伝えしたいですね。

__菅野さんの情熱を、余すところなく感じられた濃い取材でした!今日は本当にありがとうございました!私も、これからもっと頑張ります!!




【PROFILE】

菅野将太|NUMBER39:サッカー指導者

26歳でJリーガーを引退したあと、父の紹介で町田ゼルビアでサッカーコーチとしてのキャリアをスタートさせる。その後、カターレ富山時代のチームメイトだった長山氏の誘いで、法政大学サッカー部の外部コーチとしても活躍。最終的には伸び盛りである中学生へ指導したい、という想いから、トップチームの大学生が中高時代にどんな経験をしてきたか学ぶべく、ゼルビアの監督を辞退し、法政大学1本に。その2年後、その下部組織である法政二高からも指導の依頼があった。この依頼をしたのが、NUMBER39の代表である佐久間氏だった。そこで佐久間氏の企業理念に強く共感した菅野氏は、NUMBER39へ入ることになる。その後、現在も担当しているエストレーラFCの再建を依頼され、昨年から同チーム1本で指導を続けている。


▼菅野さんが所属するエストレーラFC代表の奥村さんの記事はコチラ



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