「学校で体育を教える仕事」と聞くと、多くの人は教員免許を持つ先生を思い浮かべるかもしれません。しかし東京都では、教員免許がなくても、自身のスポーツ経験や専門性を活かして小学校の授業を担当する「特別非常勤講師」という制度があります。活動は平日の午前中が中心で、週1〜2日からでも参加可能。本業でスポーツ指導やトレーナーなどの仕事の空いている時間を活かして、子どもたちの成長や学校現場を支えることができます。
今回取材したのは、幼少期から器械体操に励み、約30年の指導歴を持つ宮本邦裕さん。自身の体操教室を運営しながら、小学校で体育の授業を担当しています。競技経験を次の世代へ還元する、新しい働き方。その現場には、子どもたちの笑顔と、スポーツが持つ大きな可能性がありました。
(取材・執筆:伊藤 千梅、池田 翔太郎 編集:小西 秀人、池田 翔太郎)
「はい、じゃあ次は開脚前転です。前回やったこと、覚えているかな?やってみましょう!」
体育館に響き渡ったこの声の主は、教員免許を持たない「体育の先生」です。
江東区内のとある小学校の体育館で行われている、5年生の体育の授業。子どもたちが見つめる先には担任の先生ではなく、この体育の先生が立っています。授業を指導しているのは宮本邦裕さん。宮本さんは「特別非常勤講師」として、高い専門性を活かして子どもたちを指導しています。

雨のため、校庭で行う予定だった鉄棒から変更。この日の授業は体育館でのマット運動が行われました。体育館の中央にマットを扇形に並べ、その中心に宮本さんが立ちます。扇形にしたのには理由がありました。
「以前、視界の後ろに人を置いてはいけないと教わったことがありました。列になっていると、どうしても子どもたちに対して背中を向けてしまうタイミングがあるのですが、扇形にすると全体を見ることができます。視野を180度に保つことで、安全面に配慮できて、みんなの顔が見られるんです。(マット運動が)得意な子が、少し物足りなさそうな視線を送ってくるのも分かっていました(笑)。」
子どもたちの目が釘付けになるのが、宮本さんが行うデモンストレーションです。この日は前転に始まり、倒立や側転を披露。美しい姿勢で繰り出す技に子どもたちは顔を見合わせながら「すごい!」と目を輝かせていました。
「もちろん、私からしたら基本中の基本の技です。でも実は、子どもたちからはもっと『すごい』という声が欲しいと思っています。というのも、今はYouTubeなど映像を通じてすごい技を見ることができますが、この距離で、生で見られることに価値がある。立体感や音や空気感に触れて欲しいんですよね。それが子どもたちに良い影響を与えられると思っています。」
迫力ある“生きた教材”を授ける価値について、目を細めながら語る宮本さん。どうしてこの事業に参画しようと思ったのでしょうか?きっかけは高校時代までさかのぼります。
宮本さんが人に教えることに興味を持った原点は、高校時代の部活動にあります。
「顧問の先生もいましたが、自分たちでどうしたら上手くなれるかを考えて、選手同士で教え合う環境でした。人に教えるのは難しいんですけど、それがおもしろくて。自分たちで考えて試して、正解にたどり着いた時の達成感は大きかったですね。」

高校3年間でインターハイ、国民体育大会(現・国民スポーツ大会(国スポ))にも出場。その経験を通じて、「自分で考える力」や「人に伝える力」は競技だけでなく社会に出ても役立つと感じるようになったそうです。
大学進学後も体操競技を続け、指導者としての経験も同時に積み重ねてきた宮本さん。昨年9月から独立し、国内のマスターズ選手権大会や世界大会にも出場する現役選手としても活動しながら活躍の幅を広げています。
特別非常勤講師として活動を始めたきっかけは、東京都体操協会の役員として活動する中で届いた募集案内です。特に魅力を感じたのは、教員免許がなくてもできる点だと言います。
「教員免許はありませんが、競技経験がある人間だから伝えられることがきっとあると思います。先生方の手もお借りしながら、自分の経験や知識がどこまで子どもたちの役に立てるのか一度挑戦してみたいと思って応募しました。」
そうして「特別非常勤講師」としての歩みを始めると、実際に指導に当たった体育の授業を通して大きな学びや、やりがいを感じることができたそうです。
「教育現場なので当然、学習指導要領に沿って授業をする必要はあります。でも、その中に教科書通りじゃない動きを取り入れられるのはすごく楽しいですね。」
宮本さんが授業で大切にしているのは、“教科書通り”に終わらせないことです。
子どもたちの反応は正直です。普段経験したことのない動きや遊びを取り入れると、自然と耳を傾け、体を動かし始めるといいます。

この日の授業では壁を利用しての倒立。ポイントは「まっすぐ地面を押すこと」。実際に倒立を始める前に、子どもたちに手のひらを天に向け、バンザイするようにまっすぐ腕を上げさせた宮本さん。子どもたちの手のひらの上から、自身の手のひらを合わせて、まっすぐ押し返すように順番に一人ずつレクチャーしていきました。綺麗に倒立できる子ほど壁との距離が近く、「まっすぐ地面を押すこと」を実践していました。
「『先生、それやったことない!』みたいな反応をしてくれるんです。そういう時はちゃんと興味を持ってくれているんだなと感じます。」
4年間同じ学校で指導を続けるなかで、子どもたちの変化も見えてきました。印象に残っているのは、コロナ禍を経験した世代の成長です。
「例えば今、4年生の子たちは幼稚園の頃にコロナ禍だった世代なんです。当時は運動する時間も限られていたので、他の学年の子たちと比べるとどうしても(運動能力に)差がありました。でも4年間見てきた中で、少しずつ動けるようになってきています。」
例えば準備運動で継続的に取り入れてきた動作が、運動会で踊る『ソーラン節』の姿勢づくりにつながっていたこともありました。
「現場の先生方は本当に忙しいので、そういう細かい積み重ねまで手が回らないこともあります。でも、少しずつ積み重ねていけば学校全体の運動能力も上がっていくんじゃないかなと思っています。」
そして何より、宮本さん自身が大きなやりがいを感じているのは、子どもたちの成長を長い期間で見届けられることです。

「1年だけじゃなくて、2年、3年と見ていけるのがおもしろいですね。今は4年間同じ学校で授業をやらせてもらっているので、子どもたちの成長を見られるのはすごく魅力だと思います。」
こうした子どもたちの変化に寄り添えることこそ、宮本さんが特別非常勤講師として活動を続ける理由の一つになっています。
東京都教育委員会では2021年度から、教員免許を持っていない一方で外国語(英語)・スポーツなどの高い専門性を持ち社会で活躍している方々が、小学校の授業で活躍できる「社会の力活用事業」を実施しています。東京都教育委員会では、学校現場の先生たちの負担を軽減するため、さまざまな働き方改革を進めています。その一環として、この事業では専門的な知識や経験を持つ外部人材が授業の一部を担当することで、担任の先生の負担軽減と教育の質向上の両立を目指しています。
※東京都教育委員会から委託を受け、公益財団法人東京都教育支援機構(TEPRO)が事業を実施しています。

本事業の特徴は、小学校教員免許を持たない人材が活躍できる点にあります。スポーツ指導者やトレーナー、体操教室の講師など、さまざまな専門性を持った人たちが学校に入り、授業を担当しています。
実際に、先生方の負担を軽減できているだけではなく、学校現場からは「子どもたちが担任の先生以外の大人と関わることで、良い効果が生まれています。担任の先生にとっても、普段と違う視点から子どもたちを見ることができ、『できたね』『頑張ったね』と褒める機会が増えました」という、ポジティブな声も届いているそうです。

子どもたちに新たな学びを届けるだけでなく、担任の先生が子どもたちの成長を見つめる余裕を生み出していることも、この制度の大きな価値と言えそうです。
現在活躍している講師の多くは、スポーツ指導者やトレーナー、鍼灸師など、本業を持ちながら活動している人たちです。
放課後や土日が中心となるスポーツ指導などの仕事と、午前中が中心・遅くても午後3時ごろまでである小学校の授業時間は比較的両立しやすいため、空いた時間を生かして専門性を活かせる働き方になっています。
一方で、学校で教えることに不安を感じる人も少なくありません。そこで「社会の力活用事業」では事前の「指導力養成講座」を実施し、子どもたちへの接し方や授業づくりについて学ぶ機会を設けています。また、実際の授業では学校側との連携も行われるため、教員経験がなくても安心してスタートできる環境が整っています。
学校からは活躍されている方々について、「競技経験や指導経験はもちろんですが、何より子どもたちが好きな方が多く、あたたかい目で子どもたちを指導してくれることが嬉しい」との声が寄せられています。
教員免許が無いと学校に関われないと思われがちですが、そうではない選択肢があることを多くの方に知ってもらい、学校を“自分ごと”として考えてくれる人が増えることが、結果的に子どもたちにとって楽しく、学びの多い学校生活につながります。
そのことに、宮本さんも深く共感しています。
「特別非常勤講師は、自分の持っている力を子どもたちのために使える場所だと思っています。だからこそ、自分の経験を活かしたい人にはぜひ挑戦してほしいですね。」

スポーツを通じて培ってきた経験は、競技の現場だけで完結するものではありません。子どもたちの成長を支え、学校を支え、地域を支える力にすることもできるのです。子どもたちに、教科書だけでは伝えられないことがあります。特別非常勤講師という働き方は、競技経験を次の世代へと還元する、新たな選択肢となるのではないでしょうか。
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| 設立年月 | 2019年07月 | |
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| 代表者 | 坂東 眞理子 | |
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| 業務内容 | ・学校教育の支援
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