「バレーボールってどうやって誕生したの?歴史を知りたい!」
「日本でバレーボールが流行り出したのはいつ!?ルールは変わっているの?」
前回はバレーボールの全ポジションに関してそれぞれの役割や有名選手、必要な能力に関して詳しく取り上げました!
今では多くの人が当たり前にプレーしたり、あるいは観戦しているバレーボール!
ワールドカップが開催されると日本国内でもすごい盛り上がりを見せますよね!
今回はそんなバレーボールの誕生の歴史について解説していきます!
バレーボールはいつどこで誕生した?日本にはどうやって持ち込まれた?ルールはどのように変わってきたの?
最後までどうぞお読みください!
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バレーボールは1895年、ウィリアム・G・モーガン氏によって考案された室内競技です。
当時の室内スポーツは体のぶつかり合いが激しいバスケットボールが中心で、体格が大きく運動神経の高い、若い男の人たちしか楽しめませんでした。
バスケットボール誕生の歴史に関してこちらの記事で詳しく解説しているので合わせてお読みください!→バスケットボール 歴史への記事リンク
そこで、老若男女誰もが楽しめる室内スポーツを作ろうということで誕生したのがバレーボールです。
当時のルールは「ネットを挟んでボールを床に落とさないようにボールを打ち合う」という簡単なルールだけで行われていました。
実は当時のバレーボールは「ミントネット」「ミノネット」と呼ばれていました。
次第にテニスでボールが地面に落ちる前にボールを打つ「ボレー」というプレーから名前が取られて「バレーボール」という名称が付けられました。
バレーボールは1913年、北米YMCA同盟からの協力主事として来日したF・H・ブラウンという人物によって持ち込まれました。
当時はまだバレーボールの正式ルールが決まっておらず、東洋では体育館がなく外で行われること、多数の人数が競技をすることを考慮して16人制のバレーボールを彼は指導しました。
やがて日本国内でバレーボールがプレーされていくうちに、1927年には9人制のバレーボールが定着していきました。
その後国際バレーボール連盟により6人制が国際ルールとして制定され、日本も1951年には国際バレーボール連盟に加入しました。
とはいえ、9人制バレーボールの名残は未だに残っており、ママさんバレーや実業団、小学生バレーなどでは9人制で試合が行われています。
そして日本がバレーボールでオリンピックに参加したのは1964年の東京オリンピック。バレーボールがオリンピックの正式種目となったこの年に記念すべき初優勝を飾ったのがなんと日本女子代表でした!
時間差攻撃、回転レシーブなど数々の戦略を用いて闘う日本の姿は「東洋の魔女」とも称されました。
時代の流れとともにバレーボールのルールは大きく変化していきました。
様々な変化がありますが、ここでは特に変わった2つのルールを取り上げます!
・ラリーポイント制とテクニカルタイムアウト
ルール改正以前は15点のサイドアウト制、つまり得点ができるのはサーブ権を有するチームのみでした。そのため試合時間がとても長く、5,6時間もの試合が多く行われていました。そこから試合を短縮する、そしてテレビで放映するために現在のラリーポイント制が導入されました。
・リベロ制度の導入
バルセロナオリンピック以前からリベロ制度が導入されました。これにより背の低い選手でも活躍できるような現在のバレーボールが誕生しました。また、守備が下手だけどアタックが強い選手の弱点を補うなど戦略の幅が大きく広がりました。
今回はバレーボールの歴史について取り上げていきました!
気になるリベロに関してはこちらの記事でその役割や求められる能力など詳しく取り上げているので、ぜひ合わせてお読みください!
→バレーボールのリベロは交代が自由?役割とルール、廃止説を解説!
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