みなさんは、「障害者の定義」を聞かれたら何と答えますか?
歩けない人。手足がない人。目が見えない人。そういった人のことを指すのでしょうか。それとも―――
今、「障害」という言葉を世の中からなくしたいという思いで、活動している人がいます。今回お話を聞いた、伊佐拓哲さん(38歳)です。
伊佐さんが経営するのは、脊髄損傷者専門のジム「J-Workout」。東京と大阪、そして福岡に拠点を持ち、車いすなど歩けなくなった脊髄損傷の方が「歩く」ことを目指すトレーニングを提供しています。
自身も脊髄損傷で車いす生活を送っている伊佐さんが、なぜこのテーマに立ち向かっているのか。そこには、社会や人々への強いメッセージがありました。
(取材・構成=スポジョバ編集長 久下真以子)
ーーいきなり不躾な質問なんですけど、本当に脊髄損傷の方が歩けるようになるんですか。
伊佐:なります。車いすだったのに歩けるようになって、富士山に登った人もいますよ。私自身も現在車いす生活ですがトレーニングを受けていて、まだまだサポートがたくさん必要ですが少しずつ歩けるようになってきています。
ーーすごい…!J-Workoutでは、一体どんなトレーニングを提供しているんですか。
伊佐:「赤ちゃんが立てるようになるまでの過程を再現しましょう」というものです。神経というのは束になっているんですけど、その全てが損傷しているわけではないので、残った部分を使いながら全身のトレーニングを行うんです。赤ちゃんって生まれてすぐには立てないですよね。手を動かして、周りの観察をしているうちに首が鍛えられて、寝返りして、ハイハイができるようになって…あれって全部筋トレになってるんですよ。
ーー確かにハイハイとか、大胸筋めっちゃ使いそう…。
伊佐:全ての子どもの動きをトレースしてっていったら、大人は多分翌日筋肉痛で動けないですよ。楽しんで遊んでいるように見えますけど、尋常じゃないくらいスクワットも何回もしているんですよね。私たちはそれを脊髄損傷の方に対して、人の手で再現しようというもの。そうすることによって正しく筋肉をつけたり、立つ・歩くということに必要な動きに対してひたすらアプローチしています。
ーー歩けるようになると、生活が変わりますね。
伊佐:日常でできる動作がワンランク上がると、そこからもっと生活の質が上がっていきます。でも私たちのトレーニングは、歩くことだけがゴールではないんです。寝たきりだった人がちょっと座っていられるようになって、座れる時間が増えると体力もつくし、車いすに乗れたら動ける世界が変わるじゃないですか。立つ・歩くだけじゃなくて、ステージが変わっていく過程を大事にしています。元々車いすを漕げる人であれば、仕事がしたい、恋がしたい、結婚したいなど、色んなドラマがあります。
ーー今の状況から一歩前に進むためのジム、ということなんですね。そもそもどうして「J-Workout」を設立されたのでしょうか。
伊佐:中学時代からの親友・渡辺淳と一緒に始めました。私自身が20歳で事故で脊髄損傷を負ったんですけど、また体を動かしたいと思っていたときに、アメリカで脊髄損傷者専門のジムがあると聞いたんです。それがたまたま、渡辺が大学生活を送っていたサンディエゴにあって。それで22歳の時に2人で施設を見に行きました。
ーーフットワークが素晴らしいです。実際見に行って、どんな雰囲気だったのですか。
伊佐:「Project Walk(プロジェクト・ウォーク)」というジムなんですけど、病院やリハビリ施設みたいなイメージをするじゃないですか?全然違って、もう「ゴールドジム」のような雰囲気なんですよ。体の大きなアメリカ人がごりごりトレーニングしていて、本当にこの人たち車いすなのかな、というくらい感動して。障害の度合いとか関係なく、これだけトレーニングをしていたら歩く人が出てきても不思議じゃないよね、と純粋に思えたんですよね。
ーーそれを日本に持ち込んだということですか。
伊佐:はい。でも日本に持ち帰るためには技術を学ばないといけないということで、渡辺は大学卒業後にそのままプロジェクト・ウォークに就職しました。2年半の間で彼がトレーナーとしての経験を積み、私もそこに通いましたね。日本に帰ってきたのが2007年のことです。最初は小さな会議室を借りてのスタートだったんですけど、複数回の移転を経て2015年に今のスタジオになりました。実は2010年に渡辺が心筋梗塞で突然亡くなってしまったんですけど、彼の意志も継いで私がオーナーとして経営しています。
ーーそうだったのですね。渡辺さんはどうしてそこまで、熱い思いを持っていらしたのでしょうか。
伊佐:彼自身も脊髄管狭窄症という病気を持っていて、中学の時に歩けなくなったことがあるんです。大相撲力士になる夢を見て大きな体をしていたんですけど、その夢も諦めて体重を落として、克服しました。彼自身そういう経験があるから「やれるかどうか」じゃなくて「やるかやらないか」。やった上で結果が出るか出ないかという考えを持っていたんですよね。私たち2人だったからこそ、共鳴したものもあったと思うんです。
ーーJ-Workoutのトレーナーは「脊髄損傷のスペシャリスト」と言われていますが、じっくりと研修が必要だと聞いています。
伊佐:最初に骨や筋肉といった基本的なことから覚えてもらって、試験を行います。理学療法士の資格を持っている子なんかはその部分はパスしやすいかもしれませんが、実技の部分も時間をかけるんですよね。麻痺しているところを触るのに、どこまでやったらいいのか。健常者相手とは違ってやりすぎてしまえばケガをするし、ビビってしまうと全く効果が出せないので、安全かつ積極的にトレーニングを行うために、研修ではかなり頑張ってもらっています。トレーナとしてクライアントに触れるようになるまでは1年半~2年くらいかかりますね。
ーー2年ですか!思いがないといけないですね。
伊佐:そうですね。やる気、そして明るさが大事です。これから一緒に頑張っていきましょうねっていう人が暗かったら、ちょっと違うじゃないですか。明るい人のほうがクライアントさんにも好かれるし、体に触る機会も増えて成長スピードが早いんですよ。
ーートレーニングはマンツーマンで行うものなんですか。
伊佐:1人のクライアントさんに2人くらい配置してトレーニングを提供します。メニューによっては4~5人がかりのものも多くあります。価格も1時間15000円と高い設定になっていますけど、ご理解いただいている状況です。そんな中、去年から立ち上げた新しい取り組みもあるんですよ。障害のある方が自分で使える、車いすユーザー対応の「セルフワークアウトジム」です。
ーーセルフワークアウトジム?
伊佐:セッティングからトレーニングまで車いすを使っていても全部セルフでできるマシンを取り揃えたジムを、同じ建物内に去年オープンしました。器具さえあれば自分でできるトレーニングもあるという人にとっては、人の手を借りなくてもできるマシンがあれば残存機能も効率的に高められるじゃないですか。そうすると次のステージにも行きやすくなる。歩くことが目的じゃないけど健康維持をしたい、という人にも使ってもらっています。
ーーパラスポーツ普及の影響もあって、障害のある方を見る機会も増えてきたように思います。「脊髄損傷のスペシャリスト」の需要はどんどん高まっていくのではないでしょうか。
伊佐:実際に数が増えているというわけではないですけど、多くの脊髄損傷者が世の中に存在するわけで、そのすべての人に一生をかけて向き合って1人でも多く歩かせたいと思っています。脊髄損傷者がいる限りはやりがいのある仕事だと思うし、そこから切り取って出来る仕事もある。「誰かの困りごとはみんなの困りごと」じゃないですけど、健常者や高齢者に対しても予防が提供できると思うので、需要は高まってくるのではないでしょうか。
ーー伊佐さんがトレーニングを通して実現したい社会って、どんな世界なんでしょうか。
伊佐:脊髄損傷者が「障害」と呼ばれない世の中を実現したいですね。「障害」っていったい何なのかということを、皆さんが考える機会も増えてきたと思います。「できないことが多い=障害」であれば、自分も障害者で構わない。だって自由に歩けないし、階段も1人では上がれないですから。でも働けるかどうかで言えば障害者じゃないかもしれないし、コミュニケーションをとれるかどうかで言えば障害じゃないかもしれない。どこに軸を置くかによって、障害の定義は変わってきますよね。「障害者=守らなきゃいけない」という構図が変われば面白いし、そんな中で私たちが提供できるのが「歩きたい」という願望に寄り添うことだと考えています。
ーー「歩く」ということが、社会を変える上での1つの手段としてあるということでしょうか。
伊佐:歩くことをもちろんメインとして提供しているんですけど、「歩くことで何がしたいか」ということがもっと大切です。仕事がしたいとか学校に行きたいとかって歩かなくてもできるじゃないですか。まずはみんなでその後押しをして、歩かないとできないことが出てきたら、仕事と並行して歩行のトレーニングをしていく。そのすべてを私たちが全力でサポートしていきます。
ーー手段が目的になるのではなく、目的を見極めたうえでモチベーションを保つ。障害者に限らず大切なことだと、お話を聞いていて思いました。
伊佐:私は歩けるようになったらもう一度渡辺と相撲がとりたかった。あとはお神輿が好きなので家族と一緒に担ぎたいという夢もある。でもただ歩くことだけに集中してしまったら、目的を見失って「何していたんだっけ」となるじゃないですか。利用している脊髄損傷者の方のモチベーションに寄り添う、それが私たちの使命だと信じています。
伊佐拓哲
1982年、東京・両国生まれ。大学生の時に番組での競技挑戦中に事故に遭い、脊髄損傷に。2007年、中学からの親友・渡辺淳氏と「株式会社J-Workout」を創業。2014年に代表就任、2015年に現在の木場スタジオに移転。現在は大阪スタジオや福岡スタジオなど拠点を展開している。
設立年月 | 2007年03月 | |
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代表者 | 伊佐拓哲 | |
従業員数 | 50 | |
業務内容 | 脊髄損傷者に対するトレーニングの実施 / サポート |
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