パラスポーツ・メディカル・鍼灸。「三刀流」トレーナー・新田恵斗さん、「やりがいは人が変わる瞬間」

「Kur.conditioning」代表/「日本車いすラグビー連盟」メディカル部会強化トレーナー/「ウェルネスジム山王」ケアスタッフ 新田恵斗

パラスポーツ・メディカル・鍼灸。「三刀流」トレーナー・新田恵斗さん、「やりがいは人が変わる瞬間」

「Kur.conditioning」代表/「日本車いすラグビー連盟」メディカル部会強化トレーナー/「ウェルネスジム山王」ケアスタッフ 新田恵斗

東京・お台場にあるパラスポーツ専用体育館、「日本財団パラアリーナ」。2020年東京パラリンピックを目指すアスリートたちが日々、汗を流しています。

お話を伺ったのは、ここでパラアスリートにトレーニング指導を行っている新田恵斗さん(28歳)。

実は新田さん、「パラスポーツトレーナー」だけでなく、「高齢者などに向けた運動指導」に「鍼灸師」と、3つの顔を持っているのです。

どんなきっかけでトレーナーになり、仕事の幅を広げてきたのか。やりがいや今後の夢は?

原動力となっているのは、「あくなき探求心」でした。

(取材:構成=元スポジョバ編集部 久下真以子)


専門学校は首席で卒業!学校生活は「なりたいものになるための時間」


ーー新田さんは、大きく分けると肩書きを3つ持っていますよね。

「まずは、鍼灸師としてKur.conditioningの代表を務めています。2つ目は、大田区にある山王リハビリ・クリニックに併設されているウェルネスジム山王で健康運動指導士として勤務。 高齢者などに運動を指導しています。3つ目はパラアスリートに向けたトレーニング。日本車いすラグビー連盟のメディカル部会強化トレーナーも務めています」

ーートレーナーを志したきっかけはなんだったのでしょうか。

「高校生のときにバスケットボールをずっとやっていたのですが、引退の時期も近づいた高校3年の春に膝をケガしました。その時の顧問の先生がテーピングをしてくれたりアイシングを教えてくれたのが一番のきっかけです。競技を辞めたときに、今度は選手をサポートしたいなって思って。調べる中でスポーツトレーナーという仕事を知ったんです。それまでは体育の教師を目指していました」

ーー高校卒業後に専門学校に入学した新田さんですが、どんなことを学んでいたのでしょうか。

「スポーツトレーナー科に入学しました。まず1年生では解剖学の勉強。筋肉や骨の部分が分かっていないといけないんで。現場実習ではテーピングやアイシングなどの入口の部分や、選手へのストレッチも経験しました。2年生になると授業の一環で週3~4日はサッカーやバスケ、ラグビーなどの現場実習に行っていました。あとは、トレーニングのプログラミングを作ったり、リハビリに関する授業。3年生では卒業論文も書きました」

ーー3年間に色んな学びが凝縮されていますね!

「楽しかったですよ。でも僕の中では”お遊びの3年間”ではなく”なりたいものになるための3年間”でした。アルバイトだったりも色々しましたけど、友達と遊ぶ時間よりも実習や勉強に時間を費やしたので、実際のところあまり遊んでないです。やりたいものをやれる時間だったので、逆に充実していたなという感じです」

ーー学生時代からしっかりモチベーションを保てるのはすごいです。

「卒業してしまうと、勉強できるタイミングって自分で用意しないといけないじゃないですか。学校出たら1人前のトレーナーとして働かないといけないんだなって思ったらこの3年間は無駄にできないし、奨学金も借りていることを考えるとそんなもったいないことはできないし。だから授業も全くサボらず参加して、試験もほぼオールAで卒業できないと僕は嫌だったので、勉強に費やしましたね。最終的には最優秀生として卒業となり、卒業式では壇上に上がらせてもらいました!」






「ゴールは違っても考え方は同じ」。医療施設のジムで学んだこと


ーー卒業後、新卒で入ったのが今も働いている「ウェルネスジム山王」でした。

「学校の先生の紹介で入りました。PT(理学療法士)やOT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)、看護師、ドクターと、医療従事者がたくさんいる病院に併設されたジムだったんですね。医学的な情報をたくさん持っている人たちの近くでトレーナーとして働けたらいいなと思ったので、決めました」

ーー具体的にはどんな仕事を?

「健康運動指導士という資格を活かして、高齢者や要介護者、麻痺のある方などに運動指導をする仕事です。運動の大切さというのは彼らも知っているので、いかに相手の意見を尊重しつつ、体の機能を落とさないように、かつある程度楽しく運動ができるようなモチベーションを維持させるためのコミュニケーションが大事になってきます」

ーーただ運動を教えるだけではなく、心の部分もカバーするのですね。

「たとえば腿周りの筋肉と鍛えるときにも、”つらいんだよね”と言われると”つらいよね、確かにわかるよ”と共感する。そのうえで、少しでもやっていけば少しでも立てる可能性があるかもしれないし、歩ける時間が少しでも長くなるかもしれないから、いい方向に考え方を持っていく。どうしても利用者さんはマイナス面を見てしまうけど、プラスになることをどんどん伝えていって、気持ちを前向きにさせていく。前向きになれば意外と行動ってすんなりと起こしやすいので、心理的な部分も仕事になってきます」

ーーやっててよかったな、という瞬間はありますか。

「できなかったことができるようになったということを聞くと、”ああよかったな”って思いますね。例えば、立った状態で靴下が履けるようになったとか、旅行に行けるようになったとか、しんどいと思ってたことができるようになったとか。成功体験を感じてもらえることは、すごくやりがいを感じる瞬間です」

ーーアスリートにとっての運動や、私たち一般向けの運動、高齢者や要介護者などへの運動指導。同じ運動でもさまざまな目的がありますね。

「でも、考え方は一緒ですよ。ダイエットだったら”何キロ減らしたい”に対して、利用者さんだったら”何分歩けるようになりたい”など、”目標”があることは同じです。その目標へのルートが違うだけで、僕たちの仕事は正しい道に導いてあげること。目標がないと、そこには行けないですしね」






「トレーナーとしての武器は多い方がいい」。パラスポーツに携わって、痛感したこと


ーー鍼灸師として「Kur.conditioning」を設立したのは2年前のことでした。鍼灸の資格を取ったきっかけはなんだったのでしょうか。

「専門学校時代の恩師が車いすラグビーに携わっていて、そのご縁で僕も2013年からこの競技にトレーナーとして関わり始めたんです。何らかのスポーツで”日本代表のトレーナーになる”という目標があったので嬉しかった。でも知識がなさ過ぎて、”これは勉強し直さないとダメだ”って思ったんですよ。かつ、やはり国家資格として治療ができるようになった方がいいと感じさせられました」

ーーそれで資格を取るためにまた専門学校に?

「2015年に、働きながら再び専門学校に入りました。近くに鍼灸師の養成学校があったのですが、鍼灸はすぐに効果が出たり持続もするし、スポーツの現場でも結構いろんな人たちがやっているということを考えたときに、コレだ!と思って。鍼灸とあんまマッサージの資格が取れて、夜間部もあるところが魅力的で、願書を出しました。ここでも3年間通いました」

ーー鍼灸の資格を取ってから、ご自身の中で車いすラグビーへの関わり方に変化はありましたか?

「ありました。体の構造を勉強しているので、それまでイメージ的なものでしかわからなかったものが具体的にわかるようになったし、説明の仕方もずいぶん変わりました。あと、現場で鍼とマッサージを使って選手のコンディションを整えたり痛みをとることができるようになったのは結構大きいことで、自分の武器が1つ増えたという感覚です」


トレーニングメニューは全て自作!「残されたものを最大限生かせ」


ーーパラアスリートへのトレーニングですが、障害は麻痺や欠損、人によってさまざま。その感覚は、頭で理解できたとしても、実際に体験することは難しいように思います。

「最初は全くわからなかったし、今でもわからないですよ。そもそも僕は健常者だけど、選手たちが障害を持っているところで、理解をすることができる。でも、同じように感じることができるかっていったら不可能です。だから、理解できていればいいと思っています」

ーーそのトレーニングがどこに、どんなふうに効いているか。新田さんはどういった工夫をしているのでしょうか。

「選手たちの体には残存機能があるので、それをどう生かせばそこの部位に力が入るのか、ということを工夫します。例えば、背中のトレーニングで言うと、握力がない選手はバーを握ることができません。じゃあどうすれば?と考えたときに、最初はバーにフックをつけて補助具にしていましたが、それでもやっぱり背中より腕に力が入ってしまって。それで今のような、腕に紐をとりつけて引く形になりました(写真下)。改善策を探していた時にこの紐を見つけたので購入して自分で体験してみたら、肩甲骨を動かしやすいと実感した。それで選手たちのトレーニングに取り入れたんです」





車いすラグビー日本代表・若山英史選手(写真右)。頸髄損傷で握力がないため、補助紐をつけて背中のトレーニングを行う


ーーそういうトレーニングって、健常者のトレーニングのように、教えてくれる人や参考文献ってあるものなのでしょうか。

「ないです。だからそれが僕の仕事だと思っています。基本的に、自分がやってみていいと思ったものしか選手たちに伝えないです」

ーーチューブトレーニングも手首に巻き付けて行っていました。

「チューブ自体は普通に売っていますが、どうやって彼らができる環境にするかというのを考えるのが僕の仕事。チューブトレーニング中は車いすが動かないようにダンベルでタイヤを固定したりとか。ちなみに、トレーニングを行うときは日常車ではなく競技用の車いすです」

ーーあえて競技用の車いすで?

「実際競技をやるときはその車いすに乗るわけですから、競技用の車いすに乗った状態でトレーニングしないと、僕は意味がないと思っている。なるべく競技に近い状態で、かつそこの筋肉をうまく動かせる工夫をしています」





チューブトレーニングを行う若山選手


「トレーナーは天職」。人が変わる瞬間の、そばにい続ける喜びを


ーー来年には2020年東京パラリンピックが控えています。選手たちのパフォーマンスを上げるためにも、新田さんのお仕事は責任重大ですね。

「そうですね。自分にスポットライトが当たらなくて良くて、選手たちが輝ければ僕は十分だと思っています。僕が何でトレーナーになりたいと思ったかというと、やっぱり選手たちが強くなって、一番いい色のメダルを賭けて喜んでる姿を見たいからなんです。そこまで行けたら僕は最高だな」

ーー関わっていらっしゃる車いすラグビーでいうと、2016年リオデジャネイロパラリンピックでは銅メダル、2018年世界選手権では金メダルを獲得しました。

「選手たちの姿を見ているとすごく嬉しくて、自分も涙して。”みんな本当によく頑張ったな、やりきったな”って、それに救われる自分もいて。そのときに、自分はこの仕事は向いているし、辞められないなと思いました。来年の東京パラリンピックで一番いい色のメダルを獲るためにはさらにレベルアップしないといけないです」

ーー新田さんにとって、”トレーナーの仕事”とは何でしょうか。

「”人を変える仕事”だなと僕は思います。運動している人って明るかったり、元気になってより充実した生活を送っている人が多い。最初から充実した生活を送っている人っていないじゃないですか。それを僕たちがサポートしてあげる。気持ち的な部分もあると思いますが、充実できるような方向に持っていけるのがトレーナーの仕事だと思います。アスリートも一緒ですよね。結果が求められるわけですから、その結果が結びついた時に1つゴールが出て、選手たちが変わることができる。それまでの過程も見ることができる。だんだん変わっていく選手たちを見ていくという意味では、人を変える職業だし、変える力があると信じています」

ーートレーナーやスポーツ業界に関心を持っている人たちへのメッセージをお願いします。

「僕が大事にしてほしいのは、どんなスポーツでもいいから、”スポーツが好き”であってほしいということです。野球やサッカーを観に行って感じてもいいと思うし、草野球を体験してもいいし、いろんな競技があるので観て聞いて、五感で感じて、”めっちゃ楽しい”という気持ちを持ってほしい。スポーツって本当に素晴らしいものだと思うので。トレーナーだけじゃなくてもいろんな仕事があるので、その中で自分ができることは何だろう、というのを探すのがまず第一歩かなと思います」






【PROFILE】

新田恵斗

1991年、神奈川県生まれ。「Kur.conditioning」代表、「日本車いすラグビー連盟」メディカル部会強化トレーナー、「ウェルネスジム山王」ケアスタッフ。神奈川県立磯子高校、横浜YMCA専門学校、東京衛生学園専門学校卒。健康運動指導士、鍼灸あん摩マッサージ指圧師の資格を持つ。パラスポーツにおいては、車いすラグビーのほか、パラパワーリフティングやパラカヌーの選手の指導も行っている。


【取材協力】

日本車いすラグビー連盟 https://jwrf.jp/

日本財団パラアリーナ  https://www.parasapo.tokyo/paraarena/



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第1位

第2位

第3位

第4位

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設立年月 1995年06月
代表者 森 英二
従業員数 85人
業務内容

リハビリテーション科・整形外科・内科
(平成7年6月に外来専門のリハビリクリニックとしてオープン)

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